「実は彼女のように性自認が不明だとか、恋愛の対象が女性だという女性ダンサーはこれまであまり表沙汰にされてこなかった。多くのそういった人々が自分を押し殺してきている。
おそらくそこには女性ダンサーが『女性役』以外のものに憧れるはずがないみたいな、かなりこれもまた古典的というかクラシカルな思い込みがあるんでしょうね。女性はみんなお姫様になりたいだろう、といったような」
そう笑うのは前出の健次郎さんだ。
「10年以上ほど前から、これもまた海外の話にはなりますが、麗美のようなダンサーたちが集まって『バレーズ(Ballez)』という団体を立ち上げています。
彼らの生み出す作品はとても芸術性が高い。そこの創設者であるパイルという女性は、性的マイノリティとされる人々の中でも、女性という性に生まれてしまった人の方が、バレエ界では生きて行きづらいと考えているようでした。ƒ
生きて行きづらいというか……孤独感を味わっていたという言葉を使っていたのが印象的だったなあ」
そんな健次郎さんの言葉は、ケントさんと言い争っていた久美子さんの言葉と重なる。
「海外のLGBTQの人たちも日本のそういう方々も、疎外感みたいなものを感じながら生きていくことが辛いのかもしれないと思うことがあります。
全員がそうなわけではないけれど、LGBTQを自認している人の多くは物腰が柔らかくて、優しくて、そしてとても傷つきやすい。それは彼らがどこか、引け目を感じているからかなあと思ったりして」
久美子さんはそう言って考え込んでいた。
「一般社会と違うのは、ダンサーというのはLGBTQかどうかに関わらず、自分の居場所を求めて転々としていくことの多い職業です。だから、麗美のように今の状況が辛いなら、『バレーズ』の門をたたいてみるのも一つの手だと僕は思う。
僕がイギリスで踊り始めた頃は、僕のような東洋人に対する差別はものすごかったし、東洋人でスタイルが整っていないからと僕を絶対に起用しないバレエ団もあった。だから僕は、自分をつかってくれるバレエ団を探し回ったし、自分の居場所は自分で見つけた。
LGBTQかどうかではなく、そのダンサーにどれほどの力量があるのかを重視するバレエ団は、日本では難しくても海外には結構たくさんあるから、自分が動けばいいのさ」
そう言い放つ健次郎さんにはノーブルさとともに、一人で必死で戦ってきた人特有の厳しさも漂っていた。