「海外では、男性ダンサーが女性ダンサーと同じようにチュチュと呼ばれる衣装を着けて、女性と同じものを踊っているというケースも最近多い。SNSなどにもそういう動画は結構多くて、しかも男性ダンサーが女性ダンサーよりも柔らかく女性的に踊っていたりもする。
だから、『役柄』さえ成立させられるのであれば、その役柄を女性が踊ろうと男性が踊ろうと問題ないのではないかな……と思います。
ただ、その行き過ぎたジェンダー意識というか、バレエを知らない人による『バレエの役柄そのものがLGBTQへの迫害だ』というような主張はナンセンスだと思いますね。
長年続いてきた『クラシック』というものの良さや美点を全く意識していない。コンテンポラリーなものとして、男性ばかりの『白鳥の湖』なんてものを上演するのは問題ないと思いますが、クラシカルなものを変えてしまうべきじゃない」
健次郎さんの言う『男性ばかりの白鳥の湖』とはマシュー・ボーンの『白鳥の湖』のことだろう。確かにあれは革新的で、でも美しかったが、すべての『白鳥の湖』を男性だけの『白鳥の湖』に変えるべきかと問われると、答えはノーだ。
ノーと答える人がきっと多いだろう。
「変わっていくべき所もありますよ、バレエ界にも。人種に対する偏見や性別に対する偏見も『ない』とはいえない。でも、そういったものが存在する時代に構築された芸術なのだから、あって当然でしょう。
イギリスの英国ロイヤルバレエ団はそういう人種的な差別に真っ向から立ち向かって、さまざまな人種のダンサーたちを技量や芸術性でだけみてプリンシパルにしている。
確かにまだそういう活動に批判的な芸術家や評論家もいますが、そういう変化ならどんどんしていくべきだと僕は思います。でも、根底を覆してしまうことはよくない」
そうでしょ? とでもいうように微笑みかける健次郎さんはやはり、気品が漂っている。首をかしげる仕草さえも雰囲気があるが、その雰囲気も彼の言うように、彼が努力して身につけたものなのだろう。