作家とギャラリーの関係性や、販売の仕方について
現状は 製品を作っているという感覚に
ひさこ先生:とくにいま、展示会の頻度が尋常じゃないくらい多いですよね?
山田隆太郎:多いですね。120%みたいな状況が1年以上続いていて疲れてしまいました。薪窯も焚けないので、ちょっと減らさないとなって。
いまも決して売れているわけではないですが、多治見時代含め売れていない時代が長かったので、せっかくお声掛け頂いたのに断るのは、と最近まで思っていたんですが、さすがに…。
ただ仕事量と自分の能力とのバランスは難しくて。いまはどうしてもクオリティを安定させて効率良くという仕事の仕方になっている気がします。
FORZA STYLE:作品よりは商品を作ってる感覚ですか?
山田隆太郎:そうですね。製品を作っているという感覚に近いです。このままだとヤバいなとは思ってます。
じつはまだ、陶芸家になったことを良いことだったとは捉えられていないんです。たまたま陶芸やってますが、「これで良かったのかな?」と思いながらです。
なんとか食べられているものの、食べられない未来もあったはずで、陶芸万歳!とはなれず、たまたまラッキーな状態だと思ってます。
ひさこ先生:それは驚きです。
山田隆太郎:なので他の方に陶芸家をおすすめはできませんし、職業として成立しているのかも分かりません。陶芸大好き!という感じではないんです。
FORZA STYLE:えっ? いまもですか? それでは、ものを作ってるときの楽しみって、何に見出しているんですか?
山田隆太郎:ん~。昔は新鮮だったんですよ。付き合いたての頃は。ただもう自分と陶芸が一体化するくらい切り離せない存在になっているので、好き嫌いという感覚すらない。朝起きたら ろくろをひく生活です。
FORZA STYLE:ご飯を食べて、歯を磨くのに近い日常レベルってことですか?
山田隆太郎:そうですね。「お前は今まで食ったパンの枚数を覚えているのか?」っていうジョジョのセリフのまんま。あまりに当たり前になりすぎて、生活と陶芸が引き離せない状態です。
見据えている未来
FORZA STYLE:現状は やらなきゃいけないことに追われているようですが、今後そのバランスが整っていくと、どう変わっていきそうですか? いままでやったことがないことにチャレンジしたら、最初の頃の新鮮さを思い出せそうですか?
山田隆太郎:その新鮮さはないですよ。今後拡大していこうとするなら、もうひとつ工房を作って、若い子に指示して自分はのんびりな可能性もあるかもしれないですし、自分の手が届く範囲でコツコツと小さくやっていこうと思うなら縮小していくでしょうし、それは分からないです。
FORZA STYLE:願望的には?
山田隆太郎:願望かぁ…。一日4~5時間働いて、食べていける生活ですかね。
FORZA STYLE:両方がバランス良く混ざって、消費していくものは若手に指示して作って貰って、自分は作家性のあるものを作り込んでいくっていう生活が理想ですか?
山田隆太郎:いいですねぇ。どこかで見たことある状態ですが。ただ、作ること自体は嫌いではないですし、贅沢したいという欲もないので、たまに秘湯を巡れる余裕がある、身の丈にあった生活をするのが理想ですかね。
ひさこ先生:ちなみに、陶芸家になってからの作風は一貫していますか? それとも紆余曲折や振り幅がありました?
山田隆太郎:自分の能力の範囲の中で、市場の求めるものに合わせて適用しようとした結果の連続だった気がします。最初は急須とかポットとか手間がかかるけど、売れるし、窯の効率も良いものを作っていました。
わりと小手先は効く方なので、細かめの仕事をしながら、自分の本質を探し続けて、アッチじゃないコッチじゃないと、うろうろしてたように思います。
その中で窯を変えてみたり。僕は弟子入りをしていないので、とにかく自分で探すしかなくて、思いつくものとか、縁があって試せるものを作ってきました。
ひさこ先生:その結果から辿り着けた現在の作風は、今後もまだ変わっていきそうですか? それとも、もう最終形態に近いですか?
山田隆太郎:どうなんでしょうか…? 外圧によって大きく変わる可能性がないとは言えませんが、すでに内的変化はないので、変わらないのかな。その辺に関しては もう老人なんです。
FORZA STYLE:慣性の法則で進んでいく?
山田隆太郎:もう惰性で進んでいきます。このままじゃ終わっちゃうよっていう危機に晒されたら、変わるのかな? その熱が残ってるのかは 不安ですが…。