第2回目は、Keicondoさんのうつわを買う!
FORZA:ひさこ先生! せっかく笠間に来たんで、他の作家さんにも会いたいです。
行方ひさこ先生(以下 ひさこ先生):すぐ近くにKeicondoさんという素敵な作家さんがいるんで、お邪魔してみましょうか? 工房も基地のような空間で面白いですよ。
FORZA:お名前は聞いたことあります! 他ではあまり見かけない黄色のお皿を作ってる方ですよね。
ひさこ先生:そうです。清澄白河の中華「O2」や、栃木の星野リゾート「リゾナーレ那須」などでもうつわが使われているなど、料理人からの信頼も厚い方です。
FORZA:それって使いやすいし、料理の見栄えも良くなるうつわってことですよね? とても参考になるので、お邪魔してみたいです。
なりたくない職業だった陶芸家の道へ進む決断
FORZA:陶芸家になろうと思った最初のきっかけは、何だったんですか?
Keicondo:陶器の産地である笠間で生まれて、父親も陶芸家だったので、接点はありました。しかし、最初は"なりたくない職業"でした。
ひさこ先生:えっ? どうしてですか?
Keicondo:あまりにも食えなさすぎて…。父親が食えない陶芸家ってやつで、子どもながらに食べられないなら陶芸家になんかならない方がいいんじゃないかって思ってました。
ただ、皮肉ながら ものを作るのは好きでした。オモチャ=粘土でしたし、絵を描くのも好きで、主要5教科は散々でしたが…、図工や技術、家庭科はいつも5。
変に自信はつきますし、歳を重ねるごとに勉強するより手を動かして ものを作る方が好きだってことが確信的になってきたんですが、やはり"食えない"っていうのが頭をよぎって、生業にしようとは思えませんでした。
FORZA:モヤモヤしていたわけですね。
Keicondo:そのうちに国際学に興味が湧いてきて、大学で学んだ後に、新卒で建築関係の営業職に就くんですが、やりがいを見出せずに未来が見えなくなってしまい…。
そんなとき、「笠間の陶炎祭(ひまつり)」で楽しそうに働く陶芸家が とにかくまぶしく見えて、食えない陶芸家の家庭で育って慣れていたし、一度きりの人生だから自分が本当に好きな道に進んでもいいんじゃないかって思えるようになったんです。
ひさこ先生:実際に働いてみて、本当に好きなことが陶芸だったと気づいた?
Keicondo:就職した翌年の春には茨城県窯業指導所(現・茨城県立笠間陶芸大学校)というところに入っていました。働いたのは1年でしたが、漠然と貯金もしていたので、陶芸で食えなくてもある程度は生活できるなとは思っていました。
FORZA:そこでは、どれくらいの期間学んだんですか?
Keicondo:現在は2年間ですが、僕らのときは轆轤(ろくろ)を1年、その後釉薬を半年の計1年半で修了しました。