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LIFESTYLE うつわのことを教えて、ひさこ先生!

ひさこ先生に訊く! あの村上隆も注目する陶芸家、山田隆太郎の魅力とは?

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修行するべく多治見を目指す

ひさこ先生:そこから多治見を目指すわけですが、選んだ理由って?

山田隆太郎:一度、産地で学んでみたい思いがありました。学んだ陶芸教室の先生は彫刻家で、アートピースを作ってはホテルとか病院なんかに納める仕事をしていたんですが、僕自身はアートというより、うつわとか工芸の方に興味がったので、安く行ける学校を探しました。

多治見には意匠研究所というのがあって、年間2~30万円くらいで学べたので、行ってみることにしました。

FORZA STYLE:現実問題から多治見を選んだだけで、別の産地を選んでいた可能性もあったんですか?

山田隆太郎:いいなと思える作家さんが意匠研を出ていて、もしかしたら、そこに行けば自分も何か掴める可能性があるかも、とは感じていました。

ひさこ先生:当時は、どんな作家に憧れていたんですか?

山田隆太郎:加藤委さんとか、横山拓也さんとかでしょうか。

ひさこ先生:学校を卒業なさって、それからは?

山田隆太郎:十何人かで 5000円ずつ出し合って工場を借りて、スペースを割って制作していたんですが、それだけじゃ全然食べられなかったので、陶芸教室でバイトしながら なんとか日々生きていました。

販売ルートの開拓

FORZA STYLE:作品の販売ルートは、どのように開拓していったんですか?

山田隆太郎:学校を卒業する頃に、雨後の筍みたいに あちこちで陶芸フェアが開催されるようになりまして。大阪・境の「ともしびとの集い」というフェアに応募したら、たまたま受かったので、そこに持参して発表するのが主体でした。

そこで売ってるうちにギャラリーの方と出会い、買い付けに来て頂いたりして、なんとか陶芸家として生活していました。徐々にバイトの比率を減らせて、30歳近くになる頃にやっとバイトを抜けられましたね。

FORZA STYLE:決して楽ではなかったと思うんですが、途中で道を変えようかと悩んだことはあったんでしょうか?

山田隆太郎:なかったです。陶芸で食べていくしかないと心に決めていましたし、他の生き方を知らなかったので。



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