青木亮さんが使った工房へ移り住むことに
ひさこ先生:多治見から 相模原の藤野という場所、かつて青木亮さんが使っていた工房を選んだ理由って?
山田隆太郎:青木亮さんの作品が好きで、作品を見せて頂きに来たら、青木さんの奥さんもいらして、ちょうどここが空き家になっていたので「借りるかい?」とお誘い頂いたんです。それで妻と相談してみることに。
青木さんが亡くなってからは、お弟子さんとか若い子が使っていた時期もあるんですが、僕が見学に来たときは空いていて、誰かに借りて欲しかったようです。
山田隆太郎:多治見時代は電気窯とガス窯を使っていたんですが、窯焚きの手伝い時に薪窯を使って覚えて、そのお駄賃的な感じで自身の作品も一緒に焼かせて貰えたのが面白くて、やってみたいと思うようになりました。
ただ、多治見だと産地であるが故に薪窯は持ちづらくて…。この規模のものを建てるのに4~500万円くらいかかるんですけど、そんなに蓄えもなかったし、窯が焚けるのはありがたかったので、決断しました。
FORZA STYLE:渡りに船だったわけですね。実際に使ってみて、どうでしたか?
山田隆太郎:薪窯は いいものも焼けるんですが、納得できないものも多くなって打率は下がりました。ただ強打が打てるというか、自分が思っているものより いいものが上がって、「うわっ、カッコいい!」と興奮したりしましたが、どうしても注文が受けづらくなるので、生活は安定しない…。
僕は灯油窯と薪窯を併用しているんですが、灯油窯の方が打率的には安定するので、食器などはそちらで焼いて、展示会や個展などにおける”見せ筋”というか 一点ものなんかは薪窯で焼いています。
ひさこ先生:ガス窯ではなくて、灯油窯なんですね。
山田隆太郎:産地だとブタンガスといって安価で使えるガスがあるんですが、この辺はプロパンガス一択で、灯油の方がコスト的には安いんです。この辺の作家は ほぼ灯油窯か電気窯を使ってると思います。
ひさこ先生:ここに来るまでに、灯油窯を使った経験はあったんですか?
山田隆太郎:ないです。使い方を教えてくれる人もいなかったので試行錯誤の連続で、失敗を重ねて覚えていった感じです。
ひさこ先生:現時点の灯油窯と薪窯の割合的には?
山田隆太郎:ここ一年くらいは灯油窯の割合が圧倒的に多いですね。灯油窯と薪窯の大きな違いは準備にかかる時間とかコスト。効率と安定性を考えると、どうしても灯油窯になってしまいます。
FORZA STYLE:ちなみに、窯に火を入れて焼き上がるまで どれくらい時間を要するんですか?
山田隆太郎:灯油窯が半日なのに対して、薪窯はだいたい3~4日です。温度にもよりますが、最初はわりと大雑把に薪をくべて30分から1時間 ぼーっとしてたりするんですが、最後の方の攻めてる段階に入ると5分おきに薪を入れないといけません。
それと、一度火を入れたらずっと燃やし続けて目も離せないので、夜はお手伝いの方に頼みます。
山田隆太郎:作家さんによっては、窯には一切近づかせないなんて方もしますが、僕が多治見で学んでいたときは近所の方や学生、うつわ好きな方がわいわい集まって手伝いながら焼いていたので、同じように行っています。
使っている土と釉薬
ひさこ先生:土や釉薬は、どのように手配してますか?
山田隆太郎:土は岐阜でお付き合いのあった粘土屋さんから仕入れてます。
ひさこ先生:それは、求められる商品を作りやすい土ってことですか? 掘りに行ってみたいという衝動は?
山田隆太郎:昔はあったんですが、いまはないです。この辺の土はあまり良くなくて、作っていても楽しくないし、とにかく白い土が出ないんです。縄文土器とか低温で焼く土の産地は甲府のほうにあったようなんですが。
FORZA STYLE:例えば、工房を他の場所に構えて土を掘るようなことは?
山田隆太郎:暖かいところで取れるなら行ってみたいですかね。ただ、僕の作風として、自分で土を掘ることで付加価値が高まるという手法でもないので、目指す先ではないですし、やったところで どうしても偽物感があるので、固執はしませんね。どちらかというと楽して生きていきたいし。
FORZA STYLE:あれ? そうなんですね。その割に個展の数はとんでもなくて、めちゃくちゃ働いてるように見えますが…。
山田隆太郎:現実的には目指すところと、進んでいるところは違ってます。まさに粘奴隷。いまは展示会が詰まっているので、朝起きてから寝るまでずっと作ってます。
若い頃なら耐えられたんですが、最近は晩御飯食べたら眠くなってしまって…、ため息つきながら作業場に戻ってます。
FORZA STYLE:仕上げでは、どんな作業をしていますか?
山田隆太郎:打った目土を削ったり、ざらざらしたところを整えてテーブルに傷がつかないようにしたり、ガタつきがないかも確認します。
FORZA STYLE:小林さんは その作業を地獄だって言ってましたが、山田さんは?
山田隆太郎:ひとりだとシンドくてやる気がおきないので…、お手伝いのサポートメンバーを入れて、ふたりでやってます。
後編へつづく
山田隆太郎
多摩美術大学環境デザイン学科在学時から陶芸教室で学び、卒業後は多治見市陶磁器意匠研究所へ。修了後は多治見市にて独立し、2014年神奈川県相模原市に移転。注目度が高く、いま最も個展を開催する作家のひとり。1984年、埼玉県生まれ。https://www.instagram.com/ryutaro4126
行方ひさこ
ブランディングディレクター
アパレル会社経営、デザイナーなどの経験を活かし、ストーリーやデザインなどの一貫したコンセプトワークを行うことでトータルでブランドの向かうべき方向を示す。食や工芸、地域創生などローカルに通じる幅広い分野で活動中。
https://hisakonamekata.com
https://www.instagram.com/hisakonamekata
Photo:Shimpei Suzuki
Direction:Hisako Namekata
Edit:Ryutaro Yanaka