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『史上最大の木曜日 クイズっ子たちの青春記1980-1989』のプロローグを読む

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この地が1989年『第13回アメリカ横断ウルトラクイズ』の準決勝の舞台に選ばれたのは必然だったのかもしれない。若きアメリカのフロンティア精神を体現した4人の若者が生き残り、熾烈な戦いを演じたのだから。彼らはのちに「ボルティモアの4人」あるいは「奇跡の4人」などと呼ばれることになった。
1人は、出身者が第11回、第12回大会を連覇した立命館大学クイズ研究会「RUQS」のエースである長戸勇人、24歳。
1人は、同じく「RUQS」に所属し、のちに「笑うクイズ王」と呼ばれる永田喜彰、27歳。
1人は、名古屋大学クイズ研究会の初代会長で長戸の同学年のライバルとして長年にわたり切磋琢磨してきた秋利美紀雄(現・美記雄)、早生まれの23歳。
1人は、いまや名門となり『東大王』ブームを生み出した東京大学クイズ研究会「TQC」の立ち上げメンバーのひとりであり、富士通に勤務する「考えすぎのコンピューター」田川憲治、26歳。
彼らはクイズに、いや『ウルトラクイズ』という世界に魅了され、それに青春を捧げ、ようやく陽の当たる場所にたどり着いた。いまでは世間的にも認められた「クイズ研」という存在だが、誰も見向きもしないその創世期に彼らは道を切り拓いていったのだ。
役者は揃い、機は熟した。

おお 我らが旗 あるところ
自由と勇気 共にあり

彼らの一挙手一投足を捉えるカメラの傍らで目を光らせているのは加藤就一だ。彼もまた『ウルトラクイズ』に魅了された男の1人だ。第1回大会をたまたま見てこんな番組を作ってみたいと日本テレビに入社。入社2年目の『第5回』からADとして参加し、『第7回』でディレクターデビュー。そして『第11回』から総合演出を任せられるようになった。熟練のカメラマン2人が捉える映像のスイッチングも加藤が担っていた。一瞬の判断ミスが彼らの戦いを台無しにしてしまう。
『史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ』は、1977年、日本テレビの『木曜スペシャル』の枠で、開局25年記念番組として始まった。その後、毎年恒例の特番となり、1992年の『第16回』まで継続して制作された。1998年には『今世紀最後』と謳われる復活特番が放送されている。



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