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1992年日産はどんな車を出していた? 世相と車の歴史をアーカイブで紐解く

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8月24日、パルサーをマイナーチェンジ。初代モデルは1978年に誕生。ファミリーカーがいよいよFFへと移行するタイミングで投入された新規車種でした。このモデルは既に4代目のN14型となり、2L直4ターボ∔4WDスポーツのGTI-Rが話題に。この時代の日産はスバルや三菱同様にWRCに参戦。いわゆるホモロゲーション獲得用モデルが話題になりました。価格はラリー用のベース仕様が219万円、ストリート用が234万1000円とメチャお値打ちでしたね。

9月4日、あの名車プリメーラ(P10型)の“改良”モデルが発表されます。マイナーチェンジとはいわなかったんですね、なぜなのかわかりませんが。変更点はエントリーモデルの1.8L直4をインジェクション化。2L直4のAT車を電子制御4ATへと進化させ、エンジン出力自体も向上。バブル期に奇をてらう車種が多数発生するなかで、実直に快適性と走行性能を磨き込んだ欧州車顔負けの5ナンバーセダンでした。

1992年に登場した日産車を一気に振り返りましたが、いかがでしたでしょうか。1989年、日本企業の株価は時価総額600兆円をピークに、1992年にはその金額が300兆円へと半減した……なんて見方もありますが、クルマだけは無駄に元気があった時代といえなくもありません。なんせ開発費は十分に確保されていたのでしょうから。

誰もが危機的状況を把握できるようでは時すでに遅し。世界大恐慌もバブル崩壊も、きっと同じなんだと思います。お客さんは契約書にハンコ押したのに、そのクルマを自動車会社が作れない。「それって経済の崩壊が始まっているんじゃないの?」と、妙に勘繰りたくなる今日この頃なのです。

Text:Seiichi Norishige

日産自動車



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