「当時、多様なミュージシャンがいました。バンドがメジャーデビューするまでの道のりは遠く、ライブハウスやホコ天で活動し、まずはインディーズでデビューするのが一般的でした」
こう語るのは、バンド・SIAM SHADEで、ギタリストとして活躍したDAITA氏だ。彼は‘97年発表、約70万枚を売り上げた『1/3の純情な感情』の作曲者でもある。
98年は、この1/3が大ヒットを遂げた年でもある。まさにDAITA氏は、当時の百花繚乱時代を知る稀有なアーティストなのだ。
そんなDAITA氏だが、インディーズ時代は、当然、スタジオや機材代は自費だ。DAITA氏も100万円以上かけて、デモテープを作成・配布したという。
「ライブをするなら会場を押さえ、音響さんに謝礼を払い、プロデュース、マネージメントも行っていたのです。それほど、自分たちの音楽を世の中に届けたかった。
ミュージシャンたちのエネルギーが吹き上げていたことと、80年代にテクノブームがあり、90年代に人が奏でる生々しい曲を皆が求めていた。そういう時代の背景もあり、90年代の音楽シーンを牽引したのはバンドだったようにも感じています」(以下・「」DAITA氏)
SIAM SHADEが ‘02年に解散してから、DAITA氏はソロ活動をスタート。
世界最高峰のギターイベント「G3」の日本公演に、日本人として初の出演を果たすなど金字塔を打ち立て、全米デビュー。また、ソロ活動と並行し、’03年から15年にわたり氷室京介氏のツアーギタリストを務めた。日本が世界に誇るトップギタリストともいえる。
「中学生の頃から、スポ根マンガのようにギターの練習をしていましたからね。起きているときは、ずっとギターを抱え、眠る直前まで練習。そして、起床とともにギターをつかむ。今でもそれは変わりません」と続けた。
当時のミュージシャンには“バンギャ”(バンドギャルの略)と呼ばれる熱狂的な追っかけがいた。きっと華やかな恋愛模様があったのだろうと想像したが、DAITA氏の隣には、常にギターがいたようだ。
「当時デビューしたミュージシャンの中で、現在も活動しているのは一握り。彼らに共通しているのは、今も危機感があり、自分の音楽性を追求し続けること。一にも二にも音楽なんですよ」