歌は世につれ、世は歌につれというが、日本の音楽市場はここ数十年でジェットコースターのような乱高下をしている。
現在は、2008年をピークに長い階段をずっと降り続けている状況だ。数字で市場規模の推移を振り返ってみよう。
‘80年代半ばまでその規模は3000億円程度だったが、90年代には6000億円に急成長を遂げた(日本レコード協会発表)。
それに対して、現在はおよそ2700億円から2800億円程度だ。
‘90~‘00年までの10年間はまさに「バブル」と言える状況だった、当時に何があったのか。
ヒット曲で振り返ってみよう。
嚆矢は‘90年『おどるポンポコリン』(B.Bクイーンズ)の160万枚だった。そして、’91年『ラブ・ストーリーは突然に』(小田和正)が250万枚とヒット。アニメやドラマの主題歌がヒットの法則だったことがわかる。
そして、‘93年頃からB’z、ZARD、大黒摩季、T-BOLANなど「ビーイング系」と呼ばれるアーティストがヒットランキングを席巻。彼らの曲はCMの起用が多く、人々は繰り返し耳にした。
‘93年には小室哲哉プロデュースで、ダンスグループ・trfがデビュー。’94年に『survival dAnce 〜no no cry more〜』がミリオンセラーを達成してから、5年連続ミリオンをマーク。
その後、安室奈美恵、篠原涼子、globeと小室時代が続いた。
90年代後半になると、プロデューサーとアーティストの共同作業が目立つように。バンド・Mr.ChildrenやMY LITTLE LOVERを手がけた小林武史、SPEEDの伊秩弘将などがヒットを連発する。
同時期、ビジュアル系バンドの人気もすさまじかった。
X JAPAN、LUNA SEA、MALICE MIZER、L'Arc〜en〜Cielなどが熱狂的に支持された。中でも‘97年発表のGLAYのベストアルバム『REVIEW 〜BEST OF GLAY〜』は、500万枚を突破。
’96年発売のglobeのアルバム『globe』350万枚を更新したことはニュースになった。
それを塗り替えたのは、‘99年リリースの宇多田ヒカルのデビューアルバム『First Love』800万枚だ。‘00年代に入ると、音楽が多様化し、規模は縮小。J-POP時代が幕を下ろしていく。
時代をつくる大ヒットは、中ヒット、小ヒットが不可欠だ。
日本の音楽市場が90年代はどんな時代だったのだろうか。そしてそれがピークを迎えた98年には何があったのか。