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FASHION こじラグ谷中の知ってるつもり?

篠原ともえを「世界的クリエイター」に押し上げた、【草加レザーの革職人】が凄かった。

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付加価値のあるものづくりを目指して

草加の鞣製産業は軍需に応えるために広大な土地を求めて東京・三河島のタンナーが移ってきたのが始まり。最盛期には40のタンナーがひしめき、全国4位の生産量を誇りました。伊藤産業のある通りはレザーロードと呼ばれたそうです。いまは残念ながら伊藤産業を含めて4軒。しかし代わりに皮革製品の会社が増えました。関連業種まで含めれば150の会社があります。

伊藤産業はヤンピ(羊皮)のタンナーで丁稚奉公した伊藤さんの祖父が また別のタンナーで工場長を務めたのち、1952年に創業しました。父は工場長時代の祖父の部下でした。

「ノーベル賞をとるような化学者に憧れて大学の化学部に入学したんですが、ある日、祖父に口説かれまして。革の世界も面白いぞ、やってみないか、と。わたしは おじいさん子でしたからね。忙しい父に代わって一緒になって自由研究に頭を悩ませてくれたのも祖父でした。革の勉強をするために大学院に進んで26(歳)の年に家業入りしました。そして31で社長に。父と祖父が相次いで亡くなったんです」

祖父の時代は鹿の手袋と、鍵盤のクッションをつくっていました。当時のクッションには鹿革が使われていたそうです。このクッションが合成素材に取って代わられて、そこから取引が始まったのが甲州印伝でした。甲州印伝は いまも伊藤産業の中核をなす得意先です。いまは伊藤さんの息子に任せています。

「父の代になって、ゴルフグローブの時代がやってきます。我々はダンロップと提携し、そのころ登場したエチオピアシープで青木功さんのグローブ用レザーをつくっていました。耐水性があり、スリップ加工も編み出した伊藤産業のグローブは高く評価されました。我々はこれで財を成した。この蓄えがあるから、斜陽といわれる業界にあって なんとかがんばってこられたんです」

COURTESY of KEI TAKEGAWA

残念ながらゴルフグローブの製造は1990年、中国に移転します。伊藤さんは技術指導者として中国に来ないかと誘われましたが、断りました。

「わたしは草加の人間ですからね。これからは大量生産ではなく、付加価値のあるものをつくっていこうと決めました」

そのひとつが日本で最初につくった(!)スマートフォン対応のグローブ用レザーやエコレザーでした。「スマホ対応のレザーは導電性物質の加工に工夫があります。エコレザーはタンニンをメインに、体に害の少ない薬品を掛け合わせています。エコレザーには徹底した数値管理が求められます。これをクリアすべくステンレスドラムも導入しました」

伊藤さんは あらたな柱としてエゾシカに大きな可能性を感じています。

「篠原さんとの取り組みでエゾシカに興味をもってくれる取引先が増えましたから。付加価値という意味では、桐原のグラデーションの技を若手に引き継がせたいと考えています。桐原も やぶさかではないということなので、そうそうにかたちにしたい」

革づくりに携わってはや半世紀。その魅力とはどんなところにあるんでしょうか。

「革づくりの魅力はなんといっても味付けにあります。化学畑の出身ですから、徹底してレシピを構築します。構築はするけれど、最後は職人の勘のようなものが出来不出来を決めるんです。ほんのちょっと脂を加える、塗料を加える。それだけで革は がらりと表情を変える。これぞ天然素材の醍醐味ですね」

伊藤さんは自然乾燥するクラストを愛おしそうに撫でながら、こう付け加えました。

「革は食肉文化の副産物。尊い命をいただいているんです。こんなにやりがいのある仕事は、なかなかあるものじゃありません」

Photo:Naoto Otsubo
Text:Kei Takegawa
Edit:Ryutaro Yanaka



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