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FASHION 百“靴”争鳴

山口百恵の引き出物は 三郎が染めたコードバンでした。最終回

百靴争鳴。日夜美しい靴作りに情熱を燃やし合う、異色の靴職人たちへのインタビュー集。

最終回は創業者、小川三郎さんのお話。語り手は、実娘で現在社長を務める雅子さんです――

京都帝国大学に学ぶ

三郎は京都の裕福な和菓子屋の長男として生を受けました。1929年のことです。

Courtesy of LEDER OGAWA

革に興味をもつとっかかりは軍人さんが履いていたブーツだったそうです。戦争へと突き進む当時の日本では、軍人をそこら中で みかけるようになっていました。物資不足の時代、三郎はその革をみていっぺんに虜になった。

GettyImages

幼少期の記録は残っていません。三郎がどんな少年時代をおくったのかは もはやわかりませんが、想像することは難しくありません。

三郎はどんなに仕事で疲れていても、帰れば資料と首っぴきでしたし、休みの日は家の裏の倉庫で実験を繰り返していました。娘のわたしからみても仕事一筋のひとでした。例外は、ボーイスカウト。わたしの兄が入隊したのがきっかけなんですが、最後は千葉県の団委員長にまで のぼりつめました。好きになってしまえば万事につけて加減の利かないひとなんです(笑)。そんなひとでしたから、とにかく前のめりだったに違いない。

革に魅せられた三郎は長じて京都帝国大学(現京都大学)の農学部皮革製造学科にしのびこみます。牧歌的な時代ならではですね。おそらく熱心に通ったのでしょう。三郎は担当の井上教授から助手に推挙してもらいます。

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受験して学生になって、という正規のルートを経なかったのは、せっかちな性分に加えて(笑)、家庭の事情も多分にあったと思います。

実家は何代もつづく老舗の和菓子屋でしたが、三郎の父、つまりわたしのおじいちゃんの代に傾きます。おじいちゃん、無類の遊び人だったんです。あげく体を壊してしまった。しまいには寝たきりになりました。厠へいくときは三郎が背負って連れていったとか。

おばあちゃんは おじいちゃんに代わって店を切り盛りし、女手一つで子どもたちを育て上げました。

いまとなっては屋号も思い出せないんですが、道明寺の味は いまも覚えています。桜にちなんだ和菓子で、こちらでは桜餅とか長命寺とかの名で親しまれていますね。わたしは あんこよりもせんべいが好きな子どもだったんですが、盆暮れ正月に帰ると、おばあちゃんが「食べよし」といって出してくれたのが道明寺でした。いまも道明寺は大好きなお菓子です。

お店は三郎の弟が跡を継ぎましたが、残念ながら暖簾をおろしました。

コードバンで食べていく

皮革製造学科の教授助手になった三郎はそこで運命的な出会いを果たしました。視察に訪れた陸軍将校が履いていたコードバンのブーツがそれです。

そのブーツの出どころをすこし調べたことがあるんですが、正解にたどり着くことはできませんでした。陸軍の靴をつくっていたのは日本製靴(現リーガルコーポレーション)だから日本製靴製か? コードバンの仕入先はホーウィンか? あるいはそれは軍靴ではなくて、ライディングブーツなのか? であればエルメスか? すべては推測の域を出ません。

たしかなことは、将校が履いていたのがコードバンのブーツであり、三郎の心が鷲掴みにされたということです。三郎は同僚にいったそうです。「おれはコードバンで食べていく」って。

助手になって4〜5年経ったころ、井上教授が就職の口を世話してくれました。井上皮革という教授の身内が経営している墨田区のタンナーでした。

井上皮革はエキゾチックレザーを専門とするタンナーでしたが、三郎はどこかからコードバンを仕入れてきては ひそかに研究をつづけたようです。

上京して数年。三郎は東新という北千住のタンナーからヘッドハンティングされて、工場長取締役に就任します。晴れてコードバンが扱えるようになった三郎は ここで塗料染めの量産化に成功しました。ランドセルでおなじみの染色技法ですね。

東新がコードバンを買い付けていたのは成田の馬肉輸入会社、コルドバ吉田です。肉だけじゃなく、革も利用しようと考えて墨田区にタンナーを構えていました。

伝説の職人との出会い

塗料染めを確立した三郎は1971年、染色工場の東光商会の一角を間借りするかたちでオガワ染工所を立ち上げます。東光商会や東新から工賃仕事をもらっていたようです。

ようやく軌道に乗り出した矢先、創業3年後の1974年に工場は火災により全焼します。ところが三郎は へこたれませんでした。間をおかず自宅近くの土地を購入して あらたに工場を建て、有限会社レーデルオガワの名で会社登記しました。

Courtesy of LEDER OGAWA

レーデルオガワの“レーデル”はドイツ語で“革”の意。会社には三郎が書き上げたレシピが何冊も残っていますが、そのほとんどはドイツ語で書かれています。皮革業界の最先端はドイツでしたからね。三郎にとって第二の言語でした。

すべては借金です。たいへんな船出でしたが、強力な助っ人があらわれました。それが、井戸辰夫さんという革小物職人でした。

辰夫さんは いってみれば天才でした。型紙なし、つまり包丁一本で財布をつくってしまったそうですから推して知るべしでしょう。業界でもその名が轟いていた彼のもとにあるオファーが舞いこみます。それは三浦友和さんと山口百恵さんの結婚式で配る引き出物をつくってほしい、というものでした。欧米には馬の尻尾が幸福を招くいうジンクスがあります。これに倣い、馬の尻尾の毛で編んだ手帳をつくってくれと辰夫さんは頼まれた。白羽の矢が立ったのが三郎だったというわけです。

辰夫さんは生涯、レーデルオガワのコードバンを使ってくれました。

半世紀かけて完成させたアニリン染め

弊社の看板であるアニリン染めのコードバンが誕生したのは1990年のこと。学生時代には すでにそのアイデアはあったそうですから、じつに半世紀かけて完成させたことになりますね。

三郎が取り組んできたのは水面のような輝きをもたらすフィニッシングでした。

それまでの染料は酸性でした。ホーウィンで有名なオイル仕上げに使われている染料ですね。三郎にいわせれば、酸性染料には色ブレがあった。かてて加えて、オイルを含ませたコードバンは思うように寝かせることができなかった。

三郎の頭に浮かんだのはアニリンという染料でした。これは塩基性といわれるものです。ヘアカラー材でいえば、酸性がヘアマニキュアで、塩基性がヘアトリートメントになります。

一般的とはいえないまでも、牛革のアニリン染めは すでに確立されていました。これでコードバンを染めたらどうなるかというのが三郎の挑戦でした。それまでなかったのだから考えてみれば当たり前ですが、染色のレシピも工具もそのすべてが三郎のオリジナルです。

1996年、新喜皮革との直接取引が始まりました。間に入っていた東光商会が会社をたたむことになったためです。

青天の霹靂でした

わたしには兄がおりましたが、20年ほどまえに他界しました。跡を継がせるつもりだった息子を失い、三郎は老骨に鞭打って現場を仕切りました。もうすこしがんばれば兄の息子が継いでくれるものと信じていたのです。そうして2012年、天寿を全うしました。

親族にとっては青天の霹靂でしたが、甥っ子に跡を継ぐ意思はありませんでした。みなまでいわずとも、という昭和な価値観が招いた誤算でした。三郎は とりわけ寡黙なひとでした(笑)。

廃業もやむなしの空気が流れたとたん、わたしはみずから社長になることを決めました。

子どものころは小遣い欲しさに三郎の手伝いをしたこともありましたが、以降はまったく関わりのないところで生きてきました。でも、三郎ががんばっている姿をずっとみていたし、幸いにも職人さんが残ってくれた。

だめなら仕方がない。やるだけやってみようという気持ちでした。

革のことも経営のこともまったくの素人。それでもどうにかやってこられたのは職人が助けてくれたからです。デシ(=deci=10c㎡。革の最小単位)ってなに?なんて状態でしたが(笑)、職人は根気よく付き合ってくれました。

まずは現場の戦力になろうと思いました。社長といえどもデスクに踏ん反り返っているわけにはいかない小さな工場ですからね。

力仕事は無理、背丈がいる仕事も無理。ひととおり試してみて、消去法でたどり着いたのがグレージング(艶出し)でした。

グレージングは力加減からメノウを当てる角度まで、体に染みこませなければならないことが山ほどあります。果たしてものになるのだろうか。経営者の仕事以上に不安だらけの挑戦でした。

職人は10年で一人前というのはほんとうですね。しみじみ思います。

数もあがるようになりました。むかしは一日やっても10枚がせいぜい。これじゃ仕事にならんと職人には どやされたものですが、いまでは100枚以上仕上げられるようになったんですよ。

 

レーデルオガワ(れーでるおがわ)
1971年、小川三郎が東京都内の染色工場の一角を間借りし、小川染工所の名で独立。1974年、千葉県流山市でレーデルオガワを創業。1990年、アニリン染めコードバンが完成。2017年、千葉県柏市に工場を移設。2021年、レザーグッズブランド、ユニコーンをローンチ。


【問い合わせ】
レーデルオガワ
04-7137-9244
https://leder.co.jp

Photo:Simpei Suzuki
Text:Kei Takegawa
Edit:Ryutaro Yanaka



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