猿渡さんは次のフェーズに歩を進めました。
三陽山長を30年ブランドとすべく目論んでいるのは紳士靴文化の
長嶋さんが集めてくれたドリームチーム
企画から生産管理まで――三陽山長の土台を長嶋(正樹)さんがつくってくれたのは間違いありません。矢筈仕上げなら北条さん、スキンステッチなら渡辺さんといった具合に三陽山長には伝説の職人が集結しました。まさにドリームチームです。それもこれも長嶋さんのおかげです。彼がいたから、こんなチームが組めた。三陽商会のブランドになってからも、長嶋さんは欠かせない存在でした。
でもね、むかしは長嶋さんの名前を出したくありませんでした。業界の大御所ですから、どうしたって長嶋さんの三陽山長となるからです。わたしは冠をつけずに勝負したかった。長嶋さんを絡めたいという取材はお断りすることも多かったですね。
いまは違います。20年の足場固めでちょっとやそっとじゃ揺るがないところまできたからです。
長嶋さんとの思い出ですか。それこそ無数にあるけれど……そうそう、長らく三陽山長の代名詞だったイルチアにもふたりで乗り込みましたね。そのころわたしたちはコステル、デュプイ(2015年にエルメスが買収した)に続く革を探していました。イルチアはイタリアンカーフの代名詞ともいわれる存在でした。噂を聞きつけたぼくらはとるものもとりあえずトリノへ飛びました。
トリノは水がいい。鞣製にはきれいな水が欠かせません。加えてイルチアはグレージング(艶出し)の技術が並外れていた。磨き終えた革をみたわたしたちは目をまん丸くしたものです。営業のホセは(グレージングのローラーに)高級なガラスをつかっているからね、とチャーミングに笑いました。
靴好きならご存じのようにイルチアは廃業しました。痛手ではありましたが、あまり心配はしていませんでした。なぜなら、それなりに経験を積んできた自負があったからです。以降は名前に頼らず、都度最上の革を買いつけてきました。金に糸目をつけなかったからイルチアを仕入れていたころより原材料費があがりました(笑)。しかしそれも致し方ありません。クオリティが落ちたといわれるのだけは避けなければなりませんでしたから。
コロナの前までは海外の視察ついでに毎年のようにサンタ・クローチェ(イタリアを代表する鞣製産地)まで足を延ばしたものです。それだけ通っても1日3軒まわればいっぱいいっぱいでした。現場で働く人には頭が下がります。