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「ジーンズは夏に育てる」と断言! 店主とジーンズの物語

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【デニムセラーのトリセツ②】栗原さんの“ジーンズ人生”が実に面白い!

栗原さんは今年52歳。いわゆる“ホットドッグ世代”で、高1・15歳のときにリーバイス501を雑誌で見たそうです。

「渋カジのちょっと前、ブレザーにジーンズを穿くのがカッコイイと、『Hot-Dog PRESS(ホットドッグ・プレス)』で見た世代です。高校が成田で、市内に1軒だけJUNもVANもあって、ジーンズも積んで置いてあった雑多なセレクトショップがありました。

リーバイスの501はありますかと聞いたら、30インチを出されて、試着したらブカブカで、コレ大きいんですけど……と言ったら、家に帰って洗えと言われて、バリバリのカチカチのリジットが、洗ったら縮んでビックリしたのが原体験です」。

そんな経験をして、雑誌で「大きなEがカッコイイ」というのをまた見て、今度は原宿へ。

「高3のときに、原宿のバナナボートに行きました。でもバナナボートでは相手もしてくれなかったのを覚えています。66とビッグEのデッドストックがあったんですが、6900円でリーバイスが買えた時代に、66のデッドストックが3万5000円ぐらいでしたね。

それで店長が教えてくれたのが、古着屋のVOICE。VOICEに行ったら、古着の66が7500円ぐらいで売っていて、通いながら4~5本買いました。66を穿き始めたら、『MEN’S CLUB』の“マチアイ(街のアイビーリーガーズ)”に声をかけられて写真を撮られて、“ジーンズってすげえ”と、ジーンズにハマりました」。

栗原さんは10年ほど仕事をして退職後、半年ぐらいふらふらしていたときに出会ったのが、タカキューでのアルバイト。そのとき32,3歳。

「洋服は好きでしたが、アパレル業界は未経験でした。当時のタカキューは販売スキルが高い会社だったので、販売が面白くて、社員にしてくれて、店長、本社でバイヤー、宣伝販促などいろいろ関わりました。でも、振り返ると、仕事でジーンズを穿くことはなかったんですよね」。

当時、セレクトショップが人気で、市場リサーチを兼ねてセレクトショップを回っているときに気づいたことがあるといいます。

「ショップで触るのが、ジーンズばっかりなんです。それで改めてジーンズが好きなことを思い出しました。それをきっかけに、45,6歳のときに、『セレクトショップ開業準備中・アパレル会社勤務』と書いた名刺を作って、気になるジーンズブランドを片っ端から回って、名刺を配って、“セレクトショップをやりたいんですが、店を作ったら商品を卸してくれますか”とアピールしたら、“こんな名刺をもらったのは初めてだよ”と、面白がってくれる会社もあって、印象には残ったようです」。

そんなときに栗原さんが出会ったのがボンクラのジーンズ。しかも、栗原さんが自分で穿いて気に入ったというわけではないのがスゴい!

「人がボンクラのジーンズを穿いているのを見て、その色落ちが衝撃でした。どうしてもこれから始める自分の店で扱いたくて、ボンクラの森島久さんにメールを送ったら、その3時間後に電話がかかってきて、いろいろ訊ねられて、“それでボンクラのジーンズを穿いたことはあるのか?”と聞かれて、“穿いたことありません!”と正直に答えました。


原綿の配合から紡績、機織り、染めのすべての行程にこだわって作り込まれたボンクラオリジナルのデニムパンツ。「ボンクラジーンズXX」3万6300円

それが年末のことで、年が明けた7日に大阪に行って、いろいろ見せてくれて、説明してくれましたが、商品を卸すことはOKしてくれませんでした。自分はその足で岡山まで行って、森島さんにお礼のハガキを書いて送ったら、その翌々日に電話がかかってきて、大阪に行ったら仕入れの話になりました」。



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