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FORZA STYLE - 粋なダンナのLuxuaryWebMagazine
FASHION 百“靴”争鳴

トラボルタとビームスに憧れて。靴を生業にした、GMT代表 横瀬秀明の物語
Vol.2

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百靴争鳴。日夜美しい靴作りに情熱を燃やし合う、異色の靴職人たちへのインタビュー集。

シブセイ、東急本店、ビームス、丸井の赤いカード。

振り返ってもらった青春時代には、田中康夫の『なんとなくクリスタル』を思わせるきらびやかな固有名詞が並びました――

遊び場はシブセイと東急本店

わたしはヤンチャが高じてバイクを改造する青春時代を送りました。といっても、みなさんが想像するヤンチャとは ちょっとばかり違います。バイクと同等か、それ以上にハマったのがファッションでした。山の手の人間であるというプライドがあったのかも知れません(笑)。わたしは生まれも育ちも代々木上原です。

子どものころの遊び場はシブセイ(西武渋谷店)か東急本店。学校が終わると ほとんど毎日のように自転車で乗りつけました。

そのころの百貨店には文字どおり“百”の品が揃っていた。おもちゃにバットやグローブ。家電やオーディオの売り場も楽しかった。子どもにとって夢のような空間です。シブセイは とくに書籍売り場が好きでしたね。東急本店の屋上は まるで自分の庭のようなものでした。どのフロアのどこになにがあるかが すっかり頭に入っていたからクリスマスプレゼントをねだるときは それは具体的でした(笑)。

遊び場といえば代々木公園もありましたが、わたしには物足りなかった。百貨店が一番でした。店で働く人々は顔見知りになっていたので子どもが ひとりでうろついていても補導されることはありませんでした。

色気づいて通うようになったのがビームスの原宿店。貯めに貯めたお小遣いやお年玉を握りしめて買いにいったものです。そのうち買えたことの喜びよりも買えないことの不満のほうが溜まっていきます。欲しいものは ごまんとあるのに、ほとんど指をくわえてみているしかない。そんなわたしの救世主が丸井の赤いカードでした。それまで手の届かなかった服が買えるんです。天国でした。忘れもしない16(歳)の年、そのサービスがスタートした1981年にソッコーで申し込みました。

借りたお金はもちろん返さなければなりません。アルバイトで入ったのがダブル・エフ・ジー(ワールド フットウェア ギャラリーを運営する会社。創業当時は輸入卸だった)でした。求人雑誌でみつけたその会社は憧れのトップサイダーを扱っていたんです。社販で買えるかも、というさもしい魂胆でした(笑)。雇ってもらうとソッコーで手に入れました。



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