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FASHION 百“靴”争鳴

【ハロゲイト 松田哲弥】丸2年家に帰らない!? クレイジーな下積み時代を通してたどり着いた木型つくりの高み。最終回

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百靴争鳴。日夜美しい靴作りに情熱を燃やし合う、異色の靴職人たちへのインタビュー集。

松田さんを形容するならば、天才肌、という言葉がしっくりきます。

日に3時間(!)しか寝ない日々を通して手に入れた木型は、もはやアートです――

なんであれ、型は大切です

高校を卒業すると、靴屋のバイトで授業料を貯めてエスペランサ靴学院へ。ほんとうは洋服の学校にいこうと思っていたんですけどね。その靴屋でイアン・リードや木村太大の靴に出会って心を鷲掴みにされたんです。ふたりは伝説になったイギリスのデザイナー、ジョン・ムーアの衣鉢を継ぐ存在。デザインされた紳士靴というものを はじめてみました。

『スタジオ・ボイス』で目にした『モッズたちの宇宙』という特集が強烈に印象に残っています。モッズコートにベスパ。その格好よさに しびれました。ヤンキーしかいない田舎町の少年にとって それは衝撃以外のなにものでもなかった。自由に使えるお金ができるとマルジェラやドリス、ゴルチェを買いあさるようになる自分の原点です。

その雑誌は5歳上の姉が買ったもの。姉はヒコ・みづのジュエリーカレッジの学生でした。

ファッションといえばレディスです。高校を卒業した自分はレディスの洋服屋で働こうと思った。ところが断られました。男だったからです。そんなわけで靴屋に乗り換えたんです。

せっかく入ったエスぺでしたが、半年で中退しました。というのも学ぶことは もうないと(当時の自分は)感じたんです。

そのまま学生時代からバイトしていた神戸レザークロスに就職しました。靴業界の川上から川下まで包括する会社です。自分の所属は木型部門。

ああ、おっしゃるとおりエスぺはバイト禁止です。なんで就職するまでの給金は みかんでした(笑)。

もともと型の大切さは わかっていました。姉の影響で長いことリングなんかをつくっていたからです。ワックスを切って削ってつくった型をキャスト屋さんに出して、鋳造してもらったシルバーを磨きます。これが磨けば磨くほど きれいになっていく。気づけば7〜8時間ぶっ通して作業していましたね。

まずは木型を、というところから始まったキャリアでしたが、底なし沼のようにどんどんと引きずり込まれていきました。



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