松田さんを形容するならば、天才肌、という言葉がしっくりきます。
なんであれ、型は大切です
高校を卒業すると、靴屋のバイトで授業料を貯めてエスペランサ靴学院へ。ほんとうは洋服の学校にいこうと思っていたんですけどね。その靴屋でイアン・リードや木村太大の靴に出会って心を鷲掴みにされたんです。ふたりは伝説になったイギリスのデザイナー、ジョン・ムーアの衣鉢を継ぐ存在。デザインされた紳士靴というものを はじめてみました。
『スタジオ・ボイス』で目にした『モッズたちの宇宙』という特集が強烈に印象に残っています。モッズコートにベスパ。その格好よさに しびれました。ヤンキーしかいない田舎町の少年にとって それは衝撃以外のなにものでもなかった。自由に使えるお金ができるとマルジェラやドリス、ゴルチェを買いあさるようになる自分の原点です。
その雑誌は5歳上の姉が買ったもの。姉はヒコ・みづのジュエリーカレッジの学生でした。
ファッションといえばレディスです。高校を卒業した自分はレディスの洋服屋で働こうと思った。ところが断られました。男だったからです。そんなわけで靴屋に乗り換えたんです。
せっかく入ったエスぺでしたが、半年で中退しました。というのも学ぶことは もうないと(当時の自分は)感じたんです。
そのまま学生時代からバイトしていた神戸レザークロスに就職しました。靴業界の川上から川下まで包括する会社です。自分の所属は木型部門。
ああ、おっしゃるとおりエスぺはバイト禁止です。なんで就職するまでの給金は みかんでした(笑)。
もともと型の大切さは わかっていました。姉の影響で長いことリングなんかをつくっていたからです。ワックスを切って削ってつくった型をキャスト屋さんに出して、鋳造してもらったシルバーを磨きます。これが磨けば磨くほど きれいになっていく。気づけば7〜8時間ぶっ通して作業していましたね。
まずは木型を、というところから始まったキャリアでしたが、底なし沼のようにどんどんと引きずり込まれていきました。