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FASHION 百“靴”争鳴

世界一の靴磨き職人。長谷川裕也が路上で靴を磨き始めた理由。

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ぼくは100円ショップで道具を揃えました。さすがにひとりは怖かったので、友達を誘って東京駅にいきました。朝8時から夜10時まで座って売り上げは7000円でした。日雇いと変わらない稼ぎが手に入ったんです。ぼくはこの仕事に、確かな手応えを感じました。

そんなおり無数に送った履歴書がようやく実を結びます。ぼくの履歴書に目をとめてくれたのはセオリー。そのころ日本でもいい立地に出店しはじめていたニューヨークのファッションブランドです。

ぼくはもう、靴磨きでやっていこうと決めていたから、面接では こういいました。「23歳で独立します。社長になるための開業資金として固定給をもらう仕事がほしいんです」って。もちろんやるからには本気です。20歳で副店長に抜擢されました。

なぜ、23歳なのか。開業までの準備期間から導き出したものですが、そこにはもうひとつの思いがありました。23歳というのは会社では ぺえぺえです。ところがおんなじ歳のぼくは社長なんです。単純に、優越感に浸りたかった(笑)。

アグレッシブな修業時代

休みの日は路上で靴を磨く日々が はじまりました。

はじめは東京駅を選びました。ベテランだらけのそのエリアで、たまにしか顔を出さない若造は とてもじゃないけれど太刀打ちできません。ぼくはライバルの少ない品川駅に場所を移して、固定客をつくるために毎週水曜日は かならず店開きをすると決めました。靴磨き.comという屋号で名刺もつくり、お客さんにはお礼メールを送るようになりました。

腕を磨く努力も怠りませんでした。

名の知れた路上の靴磨き職人の元には足しげく通いましたし、靴磨きについて書かれたファッション誌の記事は片っ端から集めました。業界では有名な都立皮革技術センターの無料講習会や靴クリーム会社のデモストレーションといった ためになりそうなイベントがあると聞けば おっとり刀で参加しました。友人の古着のバイヤーにお願いして古靴を買い集めてもらったことも。お湯で煮たり、レンジでチンしたりしました(笑)。



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