製鉄所の工員や英会話教材の営業を経て靴磨き職人の道に足を踏み入れた長谷川さん。
決断のはやさにしびれる
ぼくの家は母子家庭です。小五まで おねしょをしていましたから、なにかしらストレスを感じていたのかも知れない。けれど、母はおおらかに育ててくれたので、グレることはありませんでした。
大学にはいかないと決めて商業高校に入りました。就職に有利と知ったぼくはその年にできた簿記部に入って初代部長に。放課後はスケボーと麻雀に励みましたが、勉強も手を抜かなかったので、校内選抜で推薦を勝ち取って大きな企業の面接にこぎつけました。が、 残念ながら不採用。いろいろ甘かったんでしょうね。
仕方なく入ったのが地元の製鉄所。言葉を選ばずにいえば覇気のない職場でした。ところがひとりだけ違った。ぱっと見怖そうなそのひと、休憩時間になるとノートを広げて勉強しているんです。どうにも気になって、ある日、勇気を出して質問しました。「なにをや っているんですか」って。そのひとは貿易会社を立ち上げるために大学の通信で勉強しているといいいました。ワーホリでオーストラリアとニュージーランドにいってサーフィンをやっていたそうで、英語を生かした商売をはじめたいとのことでした。
ワーホリって言葉さえ知らなかったぼくには衝撃的な話でした。衝撃的でしたが、これは面白そうです。そうだ、オーストラリアでスケボー修業をしよう――その日の夜勤明けに地元木更津のNOVAへ向かい、シャッターが開くのを待って入会しました。
そこでみつけたのが 英語を学びながら働けるという英会話学校の求人でした。なんと、週給14万円。製鉄所は月給で11万4000円です。躊躇する理由がありませんよね。ぼくは ただちに転職しました。蓋を開けてみれば手ぐすね引いて待ち構えていたのは英会話教材のフルコミッション制の営業。つまり、注文が取れなければ一銭も入ってこない完全歩合の会社でした。
当時から口は達者だったので(笑)、19歳で会社最年少のチーム・キャプテンになりましたが、過酷な労働環境に体は悲鳴をあげていました。
母は彼氏をつかって ぼくを辞めさせようとしました。けれどこの彼氏がどうにも頼りがない。そんな男のいうことを聞くはずがありません。話は逸れますが、母の歴代の彼氏は揃ってポンコツです。思うに母の包容力が男をだめにするんじゃないかと(笑)。
業を煮やした母は みずから説得にかかりました。母は開口一番、いいました。「いまの仕事は会社につかわれているだけだから辞めなさい」。面と向かっていわれたら断れません。もとより母に心配をかけるような仕事はだめだと思っていたので、ぼくは翌日辞表を出しました。
引っ越しとか倉庫作業とかの日雇いのバイトを気まぐれにやりながら次の仕事を探していたら無一文になりました。手元に残ったのは1000円札が2枚。
この2000円で なにができるか。頭に浮かんだのが路上靴磨きでした。営業という仕事柄、路上の商売は目に馴染んでいたんです。