青山の骨董通りにスタンディグスタイルの靴磨き専門店、ブリフトアッシュをオープンした長谷川裕也さん。
舞台を観ているような
真っ赤なクロスをくるくると指に巻きつけて軽やかにクリーナーを塗りこむ。みるみるうちに革はツヤを失っていく。古くなったクリームと汚れが取り除かれた証だ。くまなく塗ると、カウンターの横に取りつけた金属製の木型にはめて、下から蒸気をあてた。
目を丸くすると、長谷川さんは快活にいった。「あらたに はじめたやりかたなんです」。スキンケアを考えればわかるけれど、クリームのノリがいいのは毛穴が開いた状態だ。従来の靴磨きでは手から伝わる体温や摩擦熱がその状態へと誘うが、蒸気なら確実じゃないかと閃いて試したところ、想像以上にクリームが入りこんでいったという。
時間にして3〜4分。蒸気の工程を終えた長谷川さんは、流れるような動作で磨きにかかった。「毛穴が開ききったタイミングがベストですから、ここは迷っている暇がないんです」
指ですくったクリームを、弧を描くように塗る。このプロセスにクロスではなく指をつかうのは長谷川さんのこだわりだ。体温を遮るものがないから、革が一段とほぐれる。長谷川さんはもともと、あたためることの効用を理解していた。
一連の動作は やっぱりリズミカルで、惚れ惚れするほど美しい。瞬く間にクリームを塗り終えると、ひと呼吸置いて鏡面仕上げに取りかかった。
乳化性クリームもツヤをもたらすが、乳化性クリームの光沢が革の奥底から滲み出るようなものだとすれば、ワックスのそれは まるで滴るようである。革が、陽の光を浴びた水面のようにきらめく。
ぼくはウィスキーを舐めながら、目は長谷川さんの所作に釘付けだった。値段は1万円。正直にいえば尻込みする金額だったけれど、財布を開くときには上質なエンターテインメントを観た感動があって、ちっとも惜しいとは思わなかった――
最上のサービス
所作については これまで意識したことがありませんでした。ほら、路上の靴磨きの人々って独特のリズムがあって魅せられますよね。あれはやりこむことによって確立したものです。ぼくもさんざん磨いてきましたからね。これまでに磨いた靴の数は 2017年時点で8万足でした。
意識したことはありませんでしたが、すべてにおいて最上のサービスを提供するのがブリフトアッシュのモットーです。技術、接客、空間。所作だってそれにふさわしいものが求められるのは当然です。
そんなブリフトアッシュを象徴するのが、カウンター越しに磨くスタイル。
きっかけは路上で磨いていた時代に出会ったお客さまでした。腰掛けてやっていたら「格好悪いね」っていわれたんです。洋服屋で働いていたこともあり、当時から身なりには気をつかっていました。夏ならパナマハットに麻のシャツといった具合に。なおさら、そのひと言は こたえました。
そうしてたどりついたのがお客さまと向き合うこのスタイルでした。はじめて披露したのは独立してほどなくお声がけいただいた横浜そごうのVIPパーティ。VIPの靴を磨くよう依頼されたぼくは、ブラックスーツを着てカウンターに立ちました。
一足1万円は高くない
預かりなら 4000円ですが、その場で磨く場合は 5000円。これに指名料がついて、ぼくはそれぞれ倍の 8000円、1万円をいただいています。
かつて路上靴磨きは 10分500円が相場でした。ぼくらは一足1時間かけますから、単純に計算しても 3000円。
ブリフトアッシュは青山に店を構えてスタッフを雇っています。ビジネスとして継続させようと思えば、4000円は けして高くありません。
ぼくの施術が倍になる理由ですか。
ヘアサロンやマッサージの店は いくらかかりますか。5000〜6000円といったところでしょう。ぼくは仮にも世界一の称号を手に入れた職人です。業種こそ異なれど、街場の店と変わらない値段でやっていたらその称号に失礼です。
称号というのは 2017年にロンドンではじまったワールド・チャンピオンシップ・イン・シューシャイニングの初代チャンピオン。世界各国からエントリーしたシューシャイナーのなかから選ばれました。
これは のちに銀座三越の靴磨き選手権大会につながりました。ぼくが言い出しっぺになったこのイベントは立ち見が出る賑わいで、ニコニコ動画では数万人が視聴しました。本家に勝るとも劣らないイベントに成長しました。
お客さまはただ靴を磨いてもらうためにきているんじゃありません。時間を買われているんです。ぼくらはその期待に応えられるよう、日夜努力を重ねてきました。
かつては預かりが多かったけれど、いまではカウンターでの磨きが預かりを上回る勢いで増えています。
たっぷりのクリーム
技術ももちろん自信があります。
ぼくらはどの靴も靴底から靴中まで、すべて磨き上げます。コバがざらついていれば紙ヤスリで均してインクを塗ります。いずれも他店ならオプションになるプロセスです。
滴るようにみえるのはワックスを塗布する部位が広範囲に及んでいるからだと思います。従来の鏡面磨きは つま先とかかとがセオリーですが、ぼくは呼吸を損なわない程度に甲や甲の立ち上がりにもワックスを載せていきます。そうして光沢の流れをつくってやっているんです。
そもそもの塗布にも工夫があります。鏡面磨きは均一な膜をつくってやることが肝要ですが、ぼくはこの膜を何層も重ねるように塗りこんでいきます。寿命は載せたワックスの厚さに比例します。
乳化性クリームは惜しみなくつかいます。おかげで革が渇きを感じることはありません。表面に残ったクリームは革に悪さをしますから、余ればきれいに取り除きます。
クリームそのもののポテンシャルも仕上がりに貢献しています。そのクリームは大手化粧品メーカーと共同開発した当店のオリジナル。石油系の原料は一切入っていません。
Vol.2へ続く
長谷川裕也(はせがわ ゆうや)
1984年千葉生まれ。商業高校卒業後、製鉄会社に入社。英会話スクールの営業、セオリー の販売を経て起業。2008年、南青山にブリフトアッシュをオープン。2017年、ロンドンで 開催されたワールド・チャンピオンシップ・イン・シューシャイニングで初代王者に 。2020年にはNHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出演。初の著書『靴磨きの本 』(亜紀書房)は増刷に増刷を重ねて12刷。
【問い合わせ】
Brift H
東京都港区南青山6-3-11 PAN南青山204
03-3797-0373
https://brift-h.com
Photo:Naoto Otsubo
Text:Kei Takegawa
Edit:Ryutaro Yanaka