ハンバーガーメニューボタン
FORZA STYLE - 粋なダンナのLuxuaryWebMagazine
BUSINESS SONY元社員の艶笑ノート

「飛び込み営業先に、あのアイドルが!」

無料会員をしていただくと、
記事をクリップできます

新規会員登録

オフィスコーヒーの飛び込み営業をする

ソニーがベータマックスとVHSのビデオ戦争で敗色濃厚になっていた頃だった。大学生のぼくは必死でアルバイトをしていた。

田舎から上京してきたため、アパート代はかかるし、食費はかかる。自宅生に比べて圧倒的にお金がなく、アルバイトなくして学生生活は成り立たなかった。

©gettyimages

ぼくはいろんなアルバイトをしてみた。引っ越し屋もやったし工事現場の警備員もやった。焼肉屋のウェイターもやったし、マクドナルドの掃除係もやった。運動会の設営と進行なんてものもやった。それらについてはまた話す機会もあるかもしれないが、何といっても記憶に残るのは、オフィスコーヒーを売って歩くコーヒー会社の飛び込み営業だった。

ぼくは相手を説得するとか、何かを買ってほしいとお願いするなんてことは苦手中の苦手で、ソニーで営業に配属された時もこの仕事が苦手で困った。それなのに、学生時代、みずからそんなバイトを選んだのは、一にも二にも給料が良かったからだ。

バイトに来ていた他の学生もみんな理由は同じだった。営業など苦手だが、高い日給に釣られてやってきていたのだった。

地図片手にしらみつぶしに町を回る

バイトのやり方はローラー作戦だった。朝、駅に集合し、5人ずつくらいのグループに分けられ、それぞれ分担する地域を決める。各自に地図が配られ、そこに赤ペンで自分が回るエリアをマークする。あとは、コーヒーメーカーを担いで、しらみつぶしに一軒一軒回るというやり方だ。

©gettyimages

お昼が近づけば、まだ回っていない家が残っていても、一旦集合場所に集まることになっていた。そこで一緒に食事を取り、また午後のローラー作戦に向かう。
当時はケータイもないので、何か問題があった場合に手遅れにならぬよう、数時間おきに決められた場所に帰ってくるようになっていた。

売り込みの言葉はこうだった。
「私、○○(会社の名前)と申しまして、オフィスにおいしいコーヒーをお届けしている者でございます。今日は無料で試飲していただくため、近所を巡回しております。大変お忙しいとは思いますが、すぐお淹れしますので、一杯いかがでしょうか」
これを基本形に、人それぞれ言いやすいようにアレンジを加えていた。

こんな短い挨拶でも、見知らぬ人を前にするとなかなか言えないものだ。しかも最後まで話を聞いてくれるのは稀だった。もし10軒(10人)回った場合、そのうち6~7人は、まったく話を聞かずにドアを閉めてしまうのだった。

©gettyimages

では、残る3~4人が話を聞いてくれるかというと、世の中そんなに甘くはなく、話の途中で「けっこうです」といってドアを閉める人が2~3人。
最後まで話を聞いてくれるのがだいたい1人。もし2人聞いてくれたら運がいいほうだった。
その1人か2人に、どうやってお願いして試飲してもらうかが勝負だった。

でもなぜ、試飲がそんなに重要か。
自分でこのバイトをしておきながらこんなことを言うのはどうかとも思うが、飛び込みの営業は「人の善意や良心にどれだけ訴えかけられるか」が全てだったから、まずはタダで試飲してもらうかにかかってくる。
試飲してくれた人の中には、
「タダで飲んだだけでは悪い」
といって、1ヶ月だけ契約してくれる人が多いものだ。

©gettyimages

たった1ヶ月では商売にならないと思うかもしれないが、マンションで仕事をしているような人にはコーヒー好きが多く、欲しい時に届けてくれるオフィスコーヒーの便利さを一度知ってしまうと、そのまま継続してくれる人が大半だった。だから契約も、
「1ヶ月だけでいいですから」
と、とにかく控えめにした。
現在も化粧品や健康食品などのコマーシャルで
「無料サンプルご提供!」
とか
「まずは1ヶ月!」
というナレーションが流れるが、どちらも人間心理をよく研究した末にやっていることである。

そんなわけで、何としても試飲してもらえるように頭を下げるのだが、中には、タダで飲ませてもらって悪かったが、契約するのは難しいからといって、500円や千円のお駄賃をくれる人もいた。もちろんそれらはありがたく頂戴したが、どちらにしても試飲にまで漕ぎ着けるかどうかが飛び込み営業の勝負だった。

ある日の出来事。目の前にスーパーアイドルが!

その日もいつもと変わらぬスタートだった。
JR山手線で新宿の次くらいに利用者数が多い例のあの駅の隣に集合し、グループを分けられ、地図を渡されて散っていった。

©gettyimages

この日、ぼくの担当は高級マンションだった。
当時、6畳と4畳半で月2万8千円という安アパートに暮らしていたぼくにとって、高級マンションなんて見るだけで気後れがした。

今どきの高級マンションは全てオートロックになっているが、当時はまだそうでないものもあった。ぼくはエレベーターで一番上の階に行き、上から順番に回っていった。 
高級マンションということで期待したが、結果は芳しくなかった。
明らかに在宅中なのに、インターホンを押しても応答がない家があるかと思えば、顔をみせたが目を合わせようとしない人、忙しい時に何だと怒る人など、この日もいろんな人がいた。
契約どころか試飲までもいかず、今日もさっぱりだと思いながら、次の家のインターホンを押した。

本物の“トシちゃん”に励まされる

耳を澄ませると、こちらに近づいて歩いてくる音がした。ネクタイが曲がっていないか確かめながら待つと、カギの外れる音がしてドアが開いた。
そこに現れた相手の顔を見て、ぼくは完全に固まった。

トシちゃんこと、田原俊彦さんだったのだ。

トシちゃんといえば、今でも知らない人はいないだろうが、当時はもっとすごかった。歌う曲が次々と大ヒットして、アイドル中のアイドルと言ってもよかった。まさかそんな人がドアの向こうからいきなり現れるなんて想像するわけがない。ぼくは完全に不意打ちを食らい、パニックになってしまった。

いつもの説明を言おうとするが、緊張と動揺のあまり、口がうまく動かない。自分でも何を言っているのかわからないほど、しどろもどりになりながら、やっとのことで必要最低限の説明を終えた。
その間じゅうずっと、トシちゃんは話を聞いていてくれた。

芸能人は、カメラが回っている時はいいが、プライベートではけっこうキツい人が多いと耳にすることがある。
自分がトシちゃんのファンだったら状況はまた違っただろうけれども、この時は単なる飛び込み営業として彼の前に立っていたので、どんな反応をされるのか不安だった。

ぼくが説明を終えるとトシちゃんは言った。
「ごめんね。コーヒーを取ってあげることはできないけど、お仕事頑張ってくださいね」

彼の言葉に、まるで太陽の光が差し込んだかのように思った。
「ありがとうございます! 頑張ります!」
断られたにも関わらず、何だか胸の奥が熱くなり、ぼくは思い切り頭を下げた。ありがとうございます、と、何度も言ったような気がする。
やがてトシちゃんはドアの向こうに姿を消した。

ぼくは興奮し、それから先の家を回らず、集合場所に飛んでいった。すでに集まっていた人たちに、トシちゃんとのやりとりを話した。かなり興奮していたにもかかわらず、みんなの反応は「へえ~」とか「ふうん」というだけだった。

トシちゃんはその後も芸能界を賑わせ、時に叩かれたこともあった。
しかし、あの時、ファンでもない、どこの馬の骨かもわからないぼくに向かって、むげに追い返すこともせず、他の一般人よりも親切な声をかけてくれたようなところこそ、彼の本当の人柄ではないかと思った。
カメラも何も回っていないあの場所での彼は、本当に紳士でいい人だった。

実をいうと、それまでぼくはマッチ(近藤真彦)派だったが、あの出来事がきっかけでいっぺんにトシちゃん派になり、今でも毎年、彼のコンサートに出掛けている。
まわりはぼくより上の世代のお姉さまがたばかり。ほとんどが常連で、「今年もまた会えたね~」とはしゃぎ合う人びとの中、男はぼくを入れてごくわずか。誘っても誰も一緒に行ってくれないので、いつも一人で行くのだが、人の目なんか気にしない。
これからも、コンサートしてくれる限りずっと見に行きたいと思っている。

Text:Masanari Matsui

松井政就(マツイ マサナリ)
作家。1966年、長野県に生まれる。中央大学法学部卒業後ソニーに入社。90年代前半から海外各地のカジノを巡る。2002年ソニー退社後、ビジネスアドバイザーなど務めながら、取材・執筆活動を行う。主な著書に「本物のカジノへ行こう!」(文藝春秋)「賭けに勝つ人嵌る人」(集英社)「ギャンブルにはビジネスの知恵が詰まっている」(講談社)。「カジノジャパン」にドキュメンタリー「神と呼ばれた男たち」を連載。「夕刊フジ」にコラム「競馬と国家と恋と嘘」「カジノ式競馬術」「カジノ情報局」を連載のほか、「オールアバウト」にて社会ニュース解説コラムを連載中



RANKING

1
2
3
4
5
1
2
3
4
5