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BUSINESS ー SONY元異端社員の艶笑ノート

SONY元異端社員の艶笑ノート

「ぼくはサングラスをして働いていた」

2017.1.13
2017.1.13

ある時から、革ジャケット+黒ジーンズ+サングラス

ぼくがいた頃のソニーはとても自由な会社だった。

自由にはいろいろあり、たとえば企画系の職場では勤務時間の自由があった。むろん一定の条件はあるものの、現在の社会では当たり前となっているフレックス勤務も早々に導入されていた。

服装についてはさらに自由だった。元々が物作りの会社ということもあり、開発系の職場ではネクタイなんかしていたら作業の邪魔。ジーンズにTシャツという姿は珍しくなかった。それ以外の職場でも、広報や営業という対外的な部署以外は基本的にどんな服装でもよかった。

しかし、そこはやはり会社である。ラフな中でもきちんとした格好で出社している人が大半だった。

©gettyimages

ぼくも最初のうちはスーツだったが、ある時からあっさりとスーツをやめた。どんな服装にしたかというと、黒い革ジャケットに黒のジーンズにしたのだ。しかも、それだけではなかった。その格好に加え、毎日サングラスをかけていた。通勤中はもちろん、会社の中でもかけていた。

ブラウン管型のモニターは眩しかった

理由は2つあった。
1つは、1人に1台、パソコンが与えられた始めた時期だったことだ。当時はワープロ全盛期で、職場に共用のワープロがある程度。そこに1人に1台パソコンを支給してくれるのは画期的で、みんな大喜びしたが、いざ使ってみると画面が眩しくて目が疲れた。

©gettyimages

当時のモニターはCRT(つまりブラウン管)で、テレビに使用されているものと何ら変わりはなかった。
現在40歳以上の人なら、子供時代に、
「テレビからは2m以上離れて見なさい」
と、学校の先生から言われたことがあるだろうが、それと同じものがパソコンのモニターとして使われ、たった20cmの距離で見ていたのだから疲れないわけがない。

残業時間になると目への悪影響は明らかだった。薄暗くなった部屋で、画面の光が作業中の人の顔にピカーっと当たっているのがわかるのだ。まるで大きなライトで顔を照らしているかのようだったが、現在のように目の疲労対策なんて発想自体が当時の日本にはなく、眩しい眩しいと言いながらも、そういうものだと思われていた。

しかしぼくはツラくて我慢できなかった。元来、目が悪かったせいもあるが、30分も画面を見ていると、目が疲れてしまい、とてもじゃないが仕事にならなかったからだ。
そこで考えたのが「サングラスをかけよう」ということだった。これがサングラスをかけることになった1つ目の理由だ。

急に、子供の頃に憧れた、あの人になりたくなった

だが、サングラスをかけたのにはもう1つ、別の理由があった。こちらのほうがぼくには重要だった。

©gettyimages

現在アラフィフ以上の人なら知っているだろうが、むかし「Gメン’75」という刑事ドラマがあった。75というくらいで1975年に始まったのだが、子供だったぼくはGメンに憧れ、大きくなったらGメンになりたいと言うほどだった。

とりわけぼくが憧れていたのは、原田大二郎さん演じる関屋刑事だった。
会社でパソコンが1人1台支給された頃、ぼくは20代後半だったが、それはGメンが放送された当時の原田大二郎さんと同じくらいの年齢だった。元々強い憧れがあったせいか、彼の真似をしてみたくなった。ぼくはメガネ屋をまわり、彼がドラマでかけていたのと同じようなサングラスを見つけ、奮発して購入した。

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