「どうせ私がやると思われていたんでしょう」
その誠意のなさが夫婦関係に暗い影を落とすことになる。その後も典子さんはワンオペで幼い子どもを抱え、奮闘した。今になればいい思い出だが、夫の姿はほとんどない。
「20年前の子育てなんてそんなものかもしれませんね。子どもが小学生になってからはパートに出ていました。中学生に上がったことを機に、派遣社員として働き始めました。3年後には社員になり、今もその会社で女性管理職として忙しく働いています」。
典子さんには離婚を決意したある出来事があったそう。
「中学生の時、息子が3ヶ月くらい不登校になったんです。そのとき、私は本当に悩みました。更年期もあり鬱っぽい症状にも見舞われました。私と息子の攻防戦はなかなか激しかったと思います。夫はその姿も見ていますし、相談も幾度となくしていました。それなのに、その話をひとつも覚えていないと話したんです」。
ーそんなことあったっけ?
息子が大学に入学したときの食事会で、夫が発したこのひとことで典子さんは決意を固めたというのだ。
「元夫からしたら何気ない言葉だったのかもしれません。ただ、私にとってはこれが縁の切れ目となりました」。
【後編】では、元夫側の発言に注目しながら、さらに離婚に至った経緯について深掘りをしていく。
取材・文/橋本 千紗
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