2024年の幕開けは、あまりにも悲惨なものになってしまった。元日から石川県で最大震度7を観測する能登半島地震が発生したのだ。危機管理コンサルタントの平塚俊樹氏はこう話す。
「日本中を震撼させるような地震。めでたいはずのお正月から急転直下。さらに今回は東日本大震災以来、初めて大津波警報が発出されました。今もなお、余震が続いており、犠牲者は増える一方。やるせない気持ちを抱えている人も多いことでしょう」。
週末には雪の予報が出ており、避難所生活の苦労も想像に難くない。
「道路が分断し、十分な物資が届いていないという声もあります。さらに孤立した集落もあるようです。一刻も早く、日常生活が戻ることを祈らずにはいられません」。
今回は新潟で被災した女性に降りかかったあるトラブルについて話を聞くことができた。
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豊島令美さん(仮名・49歳)は、夫と息子、娘、そして義父と5人で新潟に暮らしている。
「私が被災したのは、新潟県で震度は5強。能登半島と比べると被害は小さいものでしたが、訪れていたショッピングモールは大混乱でした」。
1日の16時10分頃、モール中に緊急地震速報が鳴り響いたという。
「居合わせた人のスマホから同時に緊急地震速報が鳴り、館内にハウリングするように鳴り響きました。それだけで一気に恐怖感が押し寄せてきましたね。とにかく怖かった」。
スタッフが表に出るように指示を出しているところで地面がぐわんと揺れた。
「波打つような揺れで大きく体が持っていかれるような感覚でした。商品がガラガラと落ちる音がして、建物自体が揺れているのか、不気味な音が響き渡っていました」。
子どもや女性の悲鳴も聞こえて、さらに恐怖が増したと話す。
「なんとか表に出て、建物から離れました。いつもとは違う、この地震はかなり大きなものであることは感覚的にわかりました」。
モールから出てきた多くの人が、事態を見守っていたそうだ。
「たびたびやってくる緊急地震速報が駐車場中に響いていました。本当に異様な光景でした。なんとか車の近くまで行くと顔面蒼白の娘が震源地が石川県であることを伝えてくれました」。
令美さんの実家は、石川県なのだという。
「両親は他界していますが、妹家族は能登半島の付け根あたりに住んでいます。電話をする手が震えました。しばらくは電話が繋がりませんでしたが、家族、みんな無事だと聞いた瞬間は膝からくずれおちましたね」。
令美さんの娘と夫は地震発生時、車の中にいたそうだ。
「横転するかと思うほどの揺れだったそう。それから地鳴りのような音が聞こえたとも話していました。すぐにエンジンを切って車を降りたそうです」。
令美さんたちは揺れがおさまったことを確認し、買い物もからがら帰宅した。家にいたのは義父と息子。どちらも無事だったが、お雑煮の出汁が地震の揺れで溢れて、キッチンが水浸しになっていたという。