いよいよ、今年も残すところ1ヶ月を切った。年末年始、帰省をしたり、親兄弟に会うという人も多いことだろう。危機管理コンサルタントの平塚俊樹氏はこう話す。
「今年は1月1日が日曜日ということもあり、休みが少ないという人も多いようです。企業によっては、4日5日を休みにしたり、有給推奨にするところもあるようですね」。
日本道路交通センターによると年末年始の渋滞のピークは2日と予想されている。
「上下線ともに2日ですが、昨年は移動が分散し、予想よりも渋滞しない可能性もあります。どちらにしても事故のないよう、帰省していい年末年始を迎えたいものです」。
しかし、この年末年始が何よりも苦痛だと感じる人もいる。今回は義実家への帰省にうんざりしているというある女性に話を聞くことができた。
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松山世那さん(仮名・48歳)は、姉弟、2人の子を持つ母である。結婚当初は年末年始に夫の実家に帰省するのがお決まりだったと話す。
「東京から新潟まで車で帰省していました。31日から2日まで泊まって、3日は私の実家に帰省するというコースだったんですが、結婚3年で私がギブアップ。以来、年末年始は東京で過ごしています」。
世那さんは結婚当初、義母に対してとてもいい印象を持っていたと話す。
「夫とは中学時代の友人なんです。ですから、実は地元にいたときから、姑とは面識がありました。夫も私もバスケットボール部に所属をしていて、年齢は私のほうがひとつ上。夫の実家は今はもう閉めちゃったんですけど、商店を営んでいました。屋根付きの大きめの駐車場があって、そこには自動販売機とベンチが置かれていて、バスケ部の溜まり場みたいになっていたので私もよくいっていて…、そこであっているんです。姑に何度も。その頃はとっても感じのいい人という印象でした」。
それから世那さんと夫は、別々の高校に進学し、たまに部活の集まりで会う以外、2人で会うような機会はなかったと話す。再開したのは、32歳のころだ。
「バスケ部のキャプテンの結婚式で再会しました。地元ではなく、東京で結婚式を挙げたこともあり、バスケ部で参列したのは数人。そのなかに夫がいました。すぐに意気投合して付き合うように。付き合っている間も年末に帰省したときは、実家を行ったりいたりしていたので、姑とはそこそこ付き合いがあったんです」。
世那さんはそのとき、姑がサバサバしたタイプだと感じていたという。
「商店をやっていたこともあり、地元でもよく知られていました。竹を割ったような性格だなんて言われていたみたいです。だから結婚して、まさか嫁姑問題で揉めることになるなんて思ってもみませんでした」。
問題が起こったのは、結婚して初めて帰省したときのことだった。
「私が35歳、夫が34歳のときに結婚しました。9月に結婚式をあげたので、その年の12月が嫁として帰省する初めてのお正月だったんです」。
帰省してまず驚いたのは、親戚がとにかくたくさん集まるということだった。
「私の実家も、父が長男ということもあり、お正月には次々と兄弟たちがお年賀を持って訪ねてくるのが通例でした。だから、親戚が集まること自体に抵抗はなかったんですが、とにかく人数が多くて…」。
義父の兄弟は6人。その子供や孫までもが訪ねてきて、中には泊まる家族もあるんだと話す。
「それ以外にもお得意さんとか近所の人とか、10人くらいが常に義父と夫と晩酌をしている感じでした。夫の実家には、6つ部屋があります。私たち夫婦は、そのうちのひとつ、元々は夫が使っていた部屋を使えると思ったんですが、蓋を開けてみたらそこは親戚が泊まる部屋として用意されていました。新婚で正月に実家に帰り、あてがわれた部屋、どこだと思います?」。
世那さん夫婦が泊まることを許されたのは、義父、義母と同じ部屋。部屋といってもそこは居間に隣接する床の間で、とても狭い。そこに布団を縦に並べて寝ることになっていたらしい。
「正直、ちょっと驚きました。こんなところで寝るの?って。でも、もちろん文句を言える身分でもありませんから、言われた通り、その狭い場所に荷物を置きました」。
次々と訪れる来客に世那さんはてんてこまい。とにかく義母に言われるまま、お節を盛りつけたり、酒を運んだり、お酌をしたり…。一通り終わると積み上げられた大量の食器を洗う。親戚たちが入る風呂を少し、使う洗濯物を洗うのも世那さんだけ。31日に帰省をして、2日まで丸3日その繰り返しだったという。
「居間では楽しそうにお酌をしたり、正月気分を満喫している声が響いていました。私はお節をつまみ食いするくらいで、きちんと座って食べるタイミングも数える程。なんで私ばかりが…そういう気持ちでした。義姉もいるのですが、身重だったこともあり、手伝ってくれるような雰囲気はありませんでした」。
あんなに明るくて大好きだった姑がまるで鬼のように見えたという世那さん。
「説明もろくにされず、いきなり正月の集まりにぶっ込まれた感じで…。夫も大丈夫?とは言ってくれるもののたぶん、幼い頃からそれが当たり前なんでしょうね。それがおかしい自体だと思っている雰囲気はありませんでした」。
姑もまた、それが当たり前だと言わんばかりだったという。
「私もそうだったからと言われただけ。正月は働きに帰ってくるのが嫁の勤めということだったんでしょう」。
世那さんも労働だけならなんとかやるしかないと思ったと話す。しかし、姑はさらに世那さんにあることを課す。
「ある親戚の名前を間違えたら、信じられないほど激怒されたんです」。
世那さんはこのあと、鬼と化した本当の理由を知ることになる。【後編】ではその辺りを詳しく追っていこう。
取材・文/悠木 律