大切な人の死は人生で最も辛い経験だ。
しかし人はそれを意識して生きているわけではない。その時が来て初めて、いかにかけがえのない人であったか、そして自分がどれだけ幸せな世界にいたのかを知ることになるのだ。
必ず来るであろう「その時」のために私たちが「今」できることは何だろうか。
※この記事は取材をもとに構成しておりますが、個人のプライバシーに配慮し、一部内容を変更しております。あらかじめご了承ください。
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それは京子が結婚をして3ヶ月後の夜だった。遠距離恋愛をしていた夫と毎日一緒にいられる喜びに浸り、「幸せだね」と新婚らしい会話をしていたところに電話は鳴った。
「お母さんがくも膜下出血で倒れた、すぐ病院に来て」
まさに天国から地獄。姉の沈んだ声が母のよろしくない容態を悟らせた。けれどもすぐには現実を受け入れられなかった。なぜなら昨日も元気な母と電話で話したばかりだったからだ。
「まさかあれが最後の会話にならないよね‥‥」
不安に胸が締め付けられた。
一昨日に実家を訪れ、帰りがけに若い夫婦のためにと、母が奮発して松阪牛を持たせてくれた。
昨日の電話で「お肉、美味しかった?」と訊かれ、京子はバカ正直に「車に置き忘れてしまって、朝まで気付かずに腐らせてしまった」と答えたのだ。
相手が他人なら決してそんなことは言わないが、母にはつい配慮を怠ってしまい優しさを簡単に踏みにじってしまった。
母は京子を責めるわけでもなく、ただ残念がった。
後悔はそれだけではない、心配性の母を鬱陶しく感じて酷いことを言った日もあった。自分の疲れやストレスを母に理不尽にぶつけたこともある。
心では母の愛情を十分に理解していたくせに、気恥ずかしくて感謝の言葉を一度も口にしたことはない。
「どうか謝るチャンスを私にください。感謝の言葉も伝えたい」
そんな京子の願いもむなしく、手術後、一向に母の意識は戻らなかった。その間、病室の窓からは雲一つない青空が広がっていた。
Text:女たちの事件簿調査チーム