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【震災を機に】一念発起して、木工作家となった吉川和人さんの決断とは?

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人生は一回。震災を機に脱サラし、作家の道へ

FORZA STYLE:商学部で学びながらも、自身で作品をつくる興味も失うことなく、制作活動も続けるわけですか?

吉川和人:田舎で生まれたので、自然に囲まれて木々も身近な存在でした。子どもの頃から木を使ったりした物づくりが好きで、小学校3年生のときには、実家にあった胡桃の木の切り落とされた太い枝がもったいなくて、彫刻刀で彫ってスプーンを作り、母親にプレゼントしたんです。

吉川和人:おそらく僕の初めての作品だったんですが、使いにくいから一切使われることはなかった。ずっと仕舞われていたから、作ったときと変わらない状態なんです…。

吉川和人:幼少期からそんな感じで過ごしたので、自身が作る側になるのか? 商売として関わるのか?については、ずっと悩み続けていましたね。

FORZA STYLE:3つ子の魂100までですね。

吉川和人:会社に属してからも、企画を組んだり営業したりする上でデザイナーさんと接する機会も増え、それはそれで勉強にはなったんですけど、一方で工場とのやりとりも多くて、職人さんと接するうちに自分はこっちの方が好きだなって。若き日の傲慢ですが、自分がやったらもっと上手くいくかもなんて思ったりもしました。

それから、どうしても会社員って制約も多くて。ある仕様のものを世に送り出したいといった際に、素材や作りなどは素晴らしいけど、会社的にはリリースするのが難しいことって多いんです。例えばメンテナンスが必要だったり、クレームにもなりやすいとかが理由となって、実現できない場面が何度もあったんです。でも、それを個人でやったら難なくできてしまう。

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吉川和人:こんなことが重なって、自分のやりたいことをやってみたいと思う気持ちが日に日に強くなり出した同じ頃、2011年(平成23年)3月11日に東日本大震災に見舞われました。

FORZA STYLE:僕も1976年生まれの同い年なんで、35歳という節目の歳でもありましたね。

吉川和人:実家が福島県なので、いろいろなことが大きく変わって。なんとなくボンヤリ暮らしてたんですが、あらためて人生は一回だなって思ったんです。それで36歳のときに会社を辞めました。ただの脱サラおじさんなので、まわりからはいろいろ言われました。

ひさこ先生:決して遅くはないとは思います。

吉川和人:でも、そこから2年間、岐阜県立森林文化アカデミーで学ぶんですが、マンションのローンはありましたし、子どもも2人いましたから。妻も働いてはいましたけど。

ひさこ先生:えっ! それは かなり大きな決断。

FORZA STYLE:ちなみに、その2年間でどんなことを学んだんですか?

吉川和人:かつては林業に就くための林政部管轄の学校だったんですが、林業だけで、建築や木工に携わる人材を育成しないと、育てた木を使う人がいないじゃないかということで改編してコースが増え、僕は木工のコースに進みました。

木質バイオマスを研究している先生がいらっしゃって、再生可能エネルギーの分野も学べる素晴らしい学校だったんですが、実際入学してみたら全然時間が足りませんでした…。



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