カンペールとの契約を終了
カンペールは当時4社の代理店を抱えていました。GMTはその一社でした。カンペールはブランディングを強化するにあたり、流通網の交通整理をしたいと考えた。白羽の矢が立ったのがGMTでした。
その席で責任者はいいました。これからはMADE IN SPAINにこだわらず可能性を探っていきたい、と。コカコーラのようなグローバルなブランドにしたいという目論見であり、カンペールにふさわしい選択です。
たいへん魅力的なオファーでしたが、世界には まだまだ素晴らしい靴が溢れている。ひとつに絞るのは惜しいと、そのときのわたしは思いました。それにわたしにとってMADE IN SPAINは大きなプライオリティでした。
わたしは契約の終了を決めました。それまでに展開していた店やスタッフは丸ごと買い取ってもらいました。
パラブーツ復活の立役者
中央がパラブーツ営業部長のエルヴェ・サポリス、右は日本にビルケンシュトックを引っ張ってきた三栄コーポレーションの菅原照雄さん。Courtesy of GMT
パラブーツとの合弁会社であるRPJを設立し、青山に店を出したのは01年のことです。本国のパラブーツはその前年、2000年に経営危機に陥ります。わたしは営業担当から相談を持ちかけられました。日本に散らばる4000足の在庫をかき集め、店を出してくれと。
Courtesy of GMT
わたしはヒット商品をいくつも生み出すのみならず、ブランディングにおいても少なからぬ貢献をしてきました。きめ細やかなリペア態勢やVMDのレシピはわたしがたたき台をつくりました。手前味噌ながら、そのような手腕が評価されたようです。
Courtesy of GMT
先日丸の内にオープンした路面店が6店目になります。卸先でも好調に推移しており、現在のパラブーツの輸出構成比の15%を占めるのが日本。ダントツのトップです。
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