地味な女の子に告白して笑いものに…キモすぎる男社会の「内輪受け」
修徳中高校の教師であり、サッカー部監督の男が男子生徒に性的な画像を送らせ、逮捕された。危機管理コンサルタントの平塚俊樹氏はこう話す。
「全国高校サッカー選手権大会に出場経験のある強豪校で知られている都内の私立中学・高校です。容疑者は男同士のノリでやったと供述しているようですが、これは大きな波紋を呼びそうです」。
男同士のノリ…。これは昨今、問題になっている“ホモソーシャル”との結びつきが非常につよい。
「ホモソーシャル(以下、ホモソ)とは、男性同士の結びつきを意味する言葉です。こうやって書くとポジティブに聞こえますが、実情はやや異なります。というのもホモソは生きづらさを生み出す場合があるんです。たとえば、男社会のなかには“男は女と遊びたい生き物である”という認識があります。しかし、すべての人がそうであるとは限りませんよね?男同士の空間で暗黙の了解とされがちな“こうあるべき”が、今問題になっているのです」。
今回の事件については、男同士のノリで片付けられるものではない。立派な犯罪、性暴力である。傷ついた中学生の心を思うと居た堪れない気持ちになる。
しかし、多くの男性は知らず知らずのうちにホモソ社会に身を起きがちである。今回はそんななかで生きづらさを抱えているある男性に話を聞くことができた。
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冨山涼太さん(独身・46歳)は、これまで生粋の男社会で生きてきた。まさにホモソな社会だ。そのなかで今も消えない辛い記憶があるという。
「僕の地元は東京近郊のベッドタウン。都心まで1時間くらいの場所で、そこそこなんでもある場所です。当時は子供の数も多く、中学校は7クラスありました。周り3校の小学校が合同になるので、すごいいろんな人がいた記憶です」
しかし、涼太さんはつい最近までその頃のことについて思い出すことはほとんどなかったと話す。
「今思えば、記憶に蓋をしていたのかなと思います。もし、子どもがそんな目に遭っていたら…と考えるだけで吐き気がするような思い出ばかりです」。
そんな辛い過去を思い出すきっかけになったのは、高校生になる長男と話をしているときだった。
「お互い釣りが趣味なので、そのときだけは結構話をします。そんな彼が何気なく発したひとことでした」。
ー男子校なんてホモソ社会の典型っしょ。下ネタしか飛んでないから、休み時間とか。
涼太さんは長男から発せられた「ホモソ」というワードが頭に入ってこなかったと話す。
「思わず聞き返しました。お恥ずかしい限りです。そんなことも知らないなんて…。長男からは下ネタ、ダリとか言ったら、ハブられるとかそういうことと説明されましたが、それでも僕の頭のなかは?で、ググりました」。
ホモソーシャルが男性同士の絆であり、ホモソ社会やホモソな関係を結ぶ上で、女性軽視や同性愛嫌悪が発動しがちだということを知ったらしい。
「読めば、読むほど心当たりがありすぎて、気持ち悪くなってしまいました。二次会にキャバクラに行きたがらない部下のことを揶揄したり、一緒に温泉に入りたがらない同僚をいじったり…。結構ひどいことやってきたんだなと猛省した次第です」。
それ以来、涼太さんはホモソについて深く考えることが増えたと話す。そのなかで思い出されたのが、冒頭の中学生の頃の出来事だ。
「いつからホモソ社会に迎合したんだろう?と考えていたら、ある出来事が思い浮かんだんです。おそらく、ホモソについて考えなかったらずっと忘れたままというか、若気の至りですませていたんじゃないかな」。
それは涼太さんが中学2年生になった頃のことだ。
「学年250人くらいの比較的大きな中学校でした。ヤンキー全盛の時代で、1軍はヤンキーでした。僕はその1軍には入ることのできない、1.5軍ぐらいの立ち位置だったと思います。当時はスマホはおろか、ポケベルもまだ持っていませんでした」。
中学生の多感な時期。息子同様、話題の中心には“エロ”が溢れていたそうだ。
「当時はトンネルの脇道とかに落ちているエロ本を拾ってきて、読んだりしていましたね。ネットもまだない時代。公衆電話からみんなでテレクラにかけたり…。馬鹿なことばっかりしていました」。
そんなあるとき、教室でクラスの1軍が男子数名を呼び集め、トイレに誘ったという。
「1軍男子の呼びかけにNOなんて言えませんからね。トイレで始まったことは、用を足すという名の性器の比べ合いです。今思えばいじめでしょうけど、こんなことよくあることだったんです。僕は用を足すだけで済むんだからマシくらいに思っていました。ところがそれを1人が拒否をしたんです」。
その1人は「今は用を足したくない」と断ったそうだ。1軍たちがそれを許すわけもないが、チャイムがなり先生がやってきたことでその場はお開きとなった。1軍たちはその1人を執拗にトイレに誘ったが、彼が性器を皆の前であらわにすることはなかった。
すると翌週にはその1人は「ホモ男」とあだ名をつけられ、全校生徒から奇異の目で見られることになったんだという。
【後編】では、さらにひどい昭和のホモソ社会の闇を涼太さんの証言から紐解いていきたい。
取材・文/悠木 律