ハンバーガーメニューボタン
FORZA STYLE - 粋なダンナのLuxuaryWebMagazine
FASHION 赤峰塾!間違いだらけの洋服選び

いいオトナに出会うということ~赤峰幸生の服作り

無料会員をしていただくと、
記事をクリップできます

新規会員登録
ジェントルマン道を極めるドクトル赤峰とファッション界のレジェンドたちが、イマドキファッションの風潮やヤワな着こなし、ガッカリスタイルなどをスパッと一刀両断! 男として、あるいは女として、「清く、正しく、美しく」生きるために必要な服装術や、服を着ることの意味・意義をストレートに語り尽くします。

「良い素材、良い仕立て、良い着心地」を提供するメンズショップ

こんにちは、赤峰幸生です。

岡山市の繁華街、表町商店街に『BROOK(ブルーク)』というメンズショップがあります。1971年創業で、私は『WAY-OUT(ウェイアウト)』時代からお付き合いがあり、初代社長の阿部英夫さんには大変お世話になりました。「良い素材、良い仕立て、良い着心地」を提供することをモットーにしているブルークは、ドレスアイテムもカジュアルも“心地良い紳士服”を揃えたショップで、めだか荘にお招きした木浪 友さんは現在の店長です。

7月26日(金)から28日(日)まで3日間、ブルークで『AKAMINE Royal Line』のトランクショー(オーダー)を開催しますので、お近くの方はぜひ会いに来てください!


岡山『BROOK(ブルーク)』店頭前にて木浪 友店長

ハイエースに洋服を満杯に入れて、岡山まで納品に

赤峰 木浪さんはお幾つになりましたか?

木浪 77年生まれで42歳です。最近赤峰さんと頻繁に会うようになって、昔の武勇伝を聞いたり、とても良い刺激をもらっています。今、自分が必要としているアドバイス、お小言もきちんと言ってくれて、「そういうことを考えて日々過ごさないとダメだよ」という訓示を受けています。

赤峰 そういうことはオンラインサロンの「めだかの小学校」で言っているからね。

木浪 赤峰さんの昔の武勇伝は何度聞いても面白いし、参考になります。

赤峰 ブルークの先代社長の阿部さんには本当にお世話になりました。セレクトショップが台頭する90年代以前は、全国に元気で個性的なメンズショップがたくさんあった。私が70年代前半にブランド『WAY-OUT(ウェイアウト)』を立ち上げて、夏場だとインドのマドラス地方のマドラスチェックを使ってシャツを作っていた。

木浪 いわゆる「泣きのマドラス」というやつですね。

赤峰 そう。織りが粗いから生地に傷や織りムラがあって、その上染料も安定していないので、洗濯するとブリーディング(泣き)しやすいんだね。でもその生地で、ボダンダウンの胸フラップ付きのプルオーバーシャツを作ったら爆発的に売れた。

木浪 それはすごかったと阿部から聞いています。

赤峰 ハイエースにシャツを満杯に積んで、豊橋、滋賀、大阪、神戸、そして岡山まで納品に行っていた。

木浪 いわゆる行商ですよね。当時小切手で払っていたと聞いています。マドラスシャツとバラクータのG9はすごく売れたそうですね。

赤峰 当時、VANのスウィングトップが3900円だった頃に、英国でバラクータのG9を買い付けたけど、値段はどうしても9800円になる。当時はバラクータのG9といっても誰も知らないからね。ネイビー、イエロー、ベージュ、サックスの4色を各サイズ買ってきて、銀座のテイジンメンズショップに収めたら、全色買ってくれたのが高倉健さんだった。アメリカではフランク・シナトラが着ていて「シナトラジャンパー」と呼ばれていたけど、日本では「健さんのバラクータ」になった。

木浪 赤峰さんが買い付けてきたG9を健さんが着ていたわけですね。

『日本昔ばなし』に出てくる殿様のようだった先代社長

赤峰 ブルークに入ってもう20年ぐらいですか。

木浪 そうですね、自分は中高生の頃からファッションに興味がありましたが、ブルークに入ったのは確か22歳です。最初の3年間は先代社長がめちゃくちゃ厳しくて、毎日泣きながらやっていました。気に入らない服があると、「誰が仕入れてきた!」とハンガーが飛んでくるし、十二指腸潰瘍になりましたが(笑)、メンタルは鍛えられましたね。先代に勝とうとは思わないけど、「辞めたら負け」だと思って20年です(笑)。

赤峰 阿部さんは小柄な男性で、『日本昔ばなし』に出てくる殿様のようだったね。

木浪 先代から学んだのは接客ですね。「岡山はどんな場所で、どんな人が多い」のか自分なりに学べと言われました。それで4年目ぐらいですかね、「モノってこうやって売れていくんだ」ということが肌感覚で分かってきて、仕事が楽しくなってきました。

赤峰 厳しいだったろうけど、良い大人に出会ったねぇ。

木浪 「お客様のライフスタイルを探れ」、「モノの蘊蓄の一方通行ではダメ」、「分からないことはメーカーに教えてもらえ」が口癖でした。がむしゃらに先代の言うことをやっていましたが、ある日、「熊本へ行ってこい」と旅費と宿泊費を出してくれました。

赤峰 熊本には『BAYBROOK(ベイブルック)』を筆頭に、良い店が多いからね。

木浪 「路面店が元気な熊本へ行って、名刺20枚交換してこい」という命令でした。行ってみたらとても好意的にいろいろ教えてくれて、帰りに博多も見て戻りました。

赤峰 先代は、世の中に対してどういう品揃えがいいのかを常に考えていた人だった。

木浪 先代が亡くなって、去年の暮れ、クリスマスにバスを待っているときに、ふと思い立って赤峰さんに久しぶりに連絡しました。

赤峰 連絡をくれてうれしかったよ。


ブルークを紹介している1980年12月25日号の『ポパイ』

メンズショップをやっている限り、絶対に必要なものとは

木浪 赤峰さんと初めてお会いしたのは『Y.AKAMINE』の頃で、先代に白金のオフィスに連れて行ってもらいました。初対面の印象は、おっかない(笑)でした。「君は何がやりたいんだ」と聞かれたのを今でも思い出します。

赤峰 ほら、良い大人ばかりに出会ってる(笑)。

木浪 赤峰さんと話をして驚いたのは、「このジャケットはこういう風に仕立てたいから、イタリアのこのファクトリーを使う」など、生産背景のこだわりと業界の地図を教えてくれたことです。あと、“季節と素材のマッチング”も仕込まれました。「メンズショップをやっている限り、夏にはシアサッカーは不可欠。これがあるからそれが売れる」など基本のキを教えていただき、今もしっかり守っています。

赤峰 「お米とおかず」に例えてよく話をしたね。

木浪 先代から聞いている赤峰さんは“怖いおじさん”で、そのイメージがずっとありますが、インスタ(@akamineyukio)とFORZA STYLEを観ていると、これまで暖かく厳しく接してもらってラッキーだったと思います。


ブルーク店内

カッティングと匂いに「赤峰」と書かれている気がする

赤峰 去年の暮れに木浪さんから連絡をもらって、先代がお亡くなりになったことを初めて聞き、ブルークでトランクショーができないかと尋ねられました。

木浪 ブルークではオーダーをやっていないので、AKAMINE Royal Lineで受注会ができないかと相談して、今年3月にトランクショーを3日間開催しました。最初はとても不安でしたが、赤峰さんから「回数をこなして成果が出てくる」と背中を押されて開催したら連日盛況で、反響が大きくてビックリしました。

赤峰 お客さんが楽しんでくれたよね。

木浪 僕が思っているより、みんな赤峰さんを知っていて(笑)、オーダーの面白さとともに、まず自分が楽しかった3日間でした。

赤峰 阿部さんのお墓参りもできたし、お客さんも素晴らしい方ばかりでした。良いメンズショップに育てたね。

木浪 なにより自分が驚いたのは、仕立て上がりをお客様に着てもらうと、「赤峰さんの服を着たら赤峰さんになるな」ということ。カッティングと匂いに「赤峰」と書かれている気がします。僕がやりたい品揃えの店は、全部の服のブランドタグを取って並べて、「でも、ブルークの木浪っぽいよね」と言われるのが理想なんですが、赤峰さんの服はラベルが無くても赤峰幸生の服なんですよ。

赤峰 いやいや、お客さんに喜んでもらうことが第一ですよ。

木浪 着てもらうとすごくお客様に似合うんですが、見て「赤峰幸生」だなとわかるのはすごいこと。モノ作り側の人が目標にしているポイントはこれなんだと実感しました。着用したときにAKAMINE Royal Lineだと匂わせるのが凄いし、違いを作れるのが面白いですね。

赤峰 第2回のトランクショーを7月26日(金)から28日(日)までブルークで開催しますので、多くの人に来て欲しいね。

AKAMINE Royal Lineトランクショー開催
□7月26日(金)~28日(日)
岡山BROOK(ブルーク)
岡山県岡山市北区表町1-1-20 TEL&FAX.086-225-2285
11:00~19:30
火曜定休
https://brook1971.co.jp/

 

「ドクトル質問箱」では、赤峰さんへの質問をお待ちしています。こちらforzastyle.web@gmail.comまで質問をお送りください。

ジャパン・ジャントルマンズ・ラウンジ
http://j-gentlemanslounge.com

Photo:Riki Kashiwabara
Text:Makoto Kajii



RANKING

1
2
3
4
5
1
2
3
4
5