仙田さんはネクタイ屋のシンガーソングライターみたいな人
こんにちは、赤峰幸生です。
私と「衣食住」を学び直す会員制コミュニケーションサロン、赤峰幸生の「めだかの小学校」はご覧いただいていますか。7月以降も新たに入学生をお迎えしていきたいと考えています。詳しくは決まり次第お知らせいたしますので、どうぞご期待ください。
さて今回は、国内外の有名ネクタイブランド、ファクトリー、機屋(はたや)に精通し、海外ブランドの輸入販売、オリジナルブランドの企画・開発・生産を展開する国内有数のネクタイ企画・製造会社であるアイネックス代表の仙田 剛さんにご登場いただきます。
仙田さんとは知り合って25年ほどの仲になりますが、“モノ作りの鋭い嗅覚”の持ち主。じっと座っているのが得意ではなく、自分が率先して動き回ってモノを作る人で、「ネクタイ屋のシンガーソングライターみたいな人」だと思っています。

「リベラーノ」のスーツに好きなネクタイを締めて登場
仙田 弊社のショールームまでお越しいただきありがとうございます。今日のスーツはリベラーノですか。
赤峰 22年前に作ったリベラーノです。モヘアが自分の身体に馴染んできて、「やっと俺のスーツになってきたな」という感じですね。ネクタイは結構古い「Dominique France(ドミニックフランス)」のものです。
仙田 さすがです。スイスのチューリッヒにあった機屋のズーラー社が織った錫(スズ)加工を施したシルクを使ったネクタイですね。今は作れない生地で、錫加工による光沢感があって、締めると衣擦れの音がするんですよね。

赤峰 今日の仙田さんのスーツもリベラーノですよね。
仙田 去年仕立てたリベラーノです。ネクタイは自社のオリジナルブランド「Robert Fraser(ロバート・フレイザー)」のもので、ローマ法王の袈裟(けさ)を織っているイタリア・コモに現存する最古の機屋の生地を使っています。その機屋は1800年ぐらいに作られた織機を今も使っていて、レジメン、サテン、フレスコの3つしか織れないんですが、味のあるネクタイが作れます。赤峰さんは「シャルベ」のネクタイもお好きですよね。
赤峰 シャルベは好きですよ。生地が柔らかくて非常にフランス的ですね。
仙田 シャルベは経(たて)糸をふんだんに使っているのが独特で、経糸と緯(よこ)糸の組み合わせで微妙な色を出すことでフランスっぽい匂いを出しています。

ドクトル赤峰がネクタイを好きな理由を語る
赤峰 仙田さんとのお付き合いはもう25年ほどになりますね。
仙田 弊社の前身は、石川県金沢市に開いた国内ネクタイと加賀友禅の卸問屋「伊藤四郎商店」でした。商品には自信はありましたが、東京では後発のネクタイメーカーで、どうやってマーケットを開拓していこうかと考えていたときに赤峰さんと出会って、若手社員を中心とした勉強会をお願いしました。それからのお付き合いですね。
赤峰 仙田さんの考え方は独特で、「社員にはネクタイだけではなく、ファッションについて勉強してほしい」というものでした。
仙田 昔のネクタイ屋は、ネクタイはファッションではないというところがあって、正直ファッションとはズレていました。アイネックスは、「スーツがあって、シャツがあって、靴、靴下があって、ではネクタイはどうあるべきか?」を常に考えています。赤峰さんの勉強会が続いた理由はそこにあるんですね。
赤峰 仙田さんの会社は、時代の空気感をネクタイに添えて提案しています。
仙田 赤峰さんはネクタイのどんなところに惹かれるのですか。
赤峰 自分にとってネクタイは“ドレスの中の魂”みたいなものですよ。数は数えたことがないですが、時代時代の気分が反映して、ネクタイと対峙して自分のそのときの気分を確認するときがすごく気持ちいい。これはネクタイでしか味わえませんね。

アイネックスがクールビズでも売上を伸ばしたワケ
赤峰 仙田さんは若い頃からファッションがお好きでしたか。
仙田 私は石川の七尾市出身で、アパレルが好きだったので、アパレル会社に就職しようと思い、友人に紹介された金沢の「伊藤四郎商店」に22歳で入社しました。25歳で自分が発案したアパレルブランドを作り、北陸を中心に卸をしていました。80年代前半のDC(デザイナーキャラクター)ブームの頃で、東京ではマンションメーカーが全盛でしたね。それから27歳のときに会社から「ネクタイを作ってみないか」と言われて、展示会に出したら好評で、28歳で東京の浅草橋にあった東京営業所に移り、一人でオリジナル商品を作りながら売っていました。
赤峰 会社から期待されていた20代だったんですね。
仙田 それで30歳のときに社名を変えようと先代に提案して、伊藤のアイ(I)+ネクタイ+語尾にスを付けて「アイネックス」にしました。代表になったのは50歳、10年前です。2005年にクールビズが始まって、ネクタイ業界全体が疲弊していって、有名ネクタイ屋も倒産し、弊社も売上が低迷したときに「やってくれないか」と言われました。
赤峰 大変な時期に社長に就任されたんですね。
仙田 クールビズが始まる前からポケットチーフを仕掛けていて、インポートのチーフが1万円を超える時代に弊社のチーフが売れて、クールビズが始まった年にはそのおかげで売上が倍になりました。
赤峰 さすが目の付け所が鋭い。
仙田 ネクタイも好調に売れていますが、ネクタイ好きが「ドレスをしっかり装いたい」と思う趣味性の強いネクタイを企画して提案しているのも弊社の特徴です。

イタリア製のネクタイの締め心地の良さの秘密
赤峰 仙田さんが初めて買ったネクタイは何ですか。
仙田 20歳のとき、成人式用にJプレスのスーツとグラスメンズのレジメンタルタイ、ギャルソンのシャツを買いました。その3段ストライプのネクタイはまだ持っていますよ。赤峰さんは?
赤峰 21歳で初めてロンドンへ行ったときに買ったネクタイは持っています。ネクタイに寿命はないですよね。
仙田 締め心地でいえば20年以上前に買ったリベラーノのネクタイは今でも締めますね。9cm幅で一番締めやすい。
赤峰 締め込んでいくと、ネクタイの芯と生地の相性が良いのと悪いのがわかります。
仙田 日本人の職人は生真面目なので、きれいにしっかり縫製するんですが、イタリア人は芯と表地の空間に微妙な遊びを作るので、締めたときにキュッと締まるんですね。
赤峰 料理と一緒で、レシピ通りに作ると個性が出ない。イタリア人はその辺の塩梅というか、ちょうど良いさじ加減を知っています。
仙田 イタリアにはネクタイ芯は種類が少ないのですが、縫製の遊びと生地とのマッチングで、絶妙な締め心地になります。ただ、スーツを縫うサルトと一緒で、ネクタイ職人が高齢になっているんですよ。

イタリアに30年連続で行っているネクタイ屋は自分だけ
赤峰 仙田さんはネクタイ業界の中で、まさに「イタリアの達人」でもあります。
仙田 「ネクタイはイタリアですよ」と会社に言って、最初にイタリアへ行ったのは29歳でした。当時はプリントネクタイ全盛で、最初は京都にあったネクタイ生地の商社と一緒に行きましたが、そのうち一人で行くようになりました。
赤峰 仙田さんは自分がその場に行って、人とモノに対峙して作るという一番大事なことをずっと実践しています。
仙田 イタリアに30年、年4回欠かさずコモに行っている日本のネクタイ屋は僕だけですね。ピッティ イマジネ ウオモは出展はしていませんが、総勢8名で欠かさず行っています。
赤峰 アイネックスで出展しないのですか。
仙田 世界中からバイヤーが集まって、メンズファッションの大きな潮流が見られるのはピッティだけですが、私たちが世界に発信するとすれば、より嗜好性を高めて、本物を追求していかなければならないでしょうね。
株式会社アイネックス
http://www.ainexx.co.jp/
「ドクトル質問箱」では、赤峰さんへの質問をお待ちしています。こちら「forzastyle.web@gmail.com」まで質問をお送りください。
ジャパン・ジャントルマンズ・ラウンジ
http://j-gentlemanslounge.com








Photo:Shimpei Suzuki
Writer:Makoto Kajii