FASHION ― 百“靴”争鳴

【シューメーカー 橋本公宏】
日本最高峰の靴職人、関信義の秘蔵っ子〜前編〜

2019.6.29 2019.6.29
2019.6.29
 
浅草の手製靴工房 J.S.T.F.に こじラグ谷中がお邪魔してビスポークの準備!?

イセタンサローネでのポップアップストアの開催、リニューアルオープンした阪急メンズ東京のビスポークサロンへの出店。知る人ぞ知る手製靴工房のJ.S.T.F.が今年、表舞台に躍り出ました。この秋にはJ.S.T.F.をコアメンバーとするショップが青山にグランドオープンします。J.S.T.F.の親方、橋本公宏の物語──。

その靴は、オーラを放っていた

生まれ育ったのは口より先に手が出る(笑)、羽田の漁村地区。勉強はできなかったね。通知表はそれこそアヒルの行列。ひところチーマー狩りってニュースにもなったでしょ。高校のころはあれ、やっていました(笑)。首謀者じゃないよ。駆り出されただけ。

なんとか高校を卒業するも1年はフリーター暮らし。そのとき知り合った水道工事の親方に声をかけられて、2〜3年、水まわりの仕事をやった。おれがいうのもなんだけど、見上げた親方でね。別にこの仕事にこだわることはない。これだと思った道をみつけたら、そっちにいけよという人でした。

そうはいってもまだ若い。流されるようにトラックの運転手になった。ちょいちょいお天道様のあたりにくい世界にも足を踏み入れつつ(笑)、なんだかんだで10年くらいトラックを走らせていたんじゃないかな。

30の大台も目前に迫って、遅ればせながらケツに火のついたおれは叔父貴のところへ相談にいった。叔父貴は羽田で靴屋を営んでいました。

そこに飾られていたのが、関信義の靴。のちのおれの師匠です。靴好きなら知っていると思うけど、日本最高峰の靴職人といわれた男。かれの半生を描いたノンフィクションもあります。『至高の靴職人』っていって、これ書いたのがいまおれの目の前にいるけいちゃん(=当連載のインタビュアー)。本なんてとんと縁のない生活をおくってきたおれが一晩で読んだからね。面白いよ。ぜひ読んでね。売れていないみたいだから(笑)

こういう感覚ってほんとうにあるんだなって思った。その靴、オーラを放っていたんだ。いやほんとうに。切羽詰まると神経が研ぎ澄まされて、ふだんなら見落とすなにかも感じてしまうのかも知れないね。

一も二もなく弟子入りしようって決めた。叔父貴に段取りつけてもらって会いにいったよ。ところがこれが一筋縄ではいかない男だった。体はちっこいし、とっくに60を超えているのに靴に負けないオーラがあった(笑)

でね、靴の“く”の字も知らない人間にものを教える余裕はない。まずは学校で基礎を学んでこい。弟子にするかどうかはそれからだっていいやがるんだ。

そういわれたら仕方がない。おれは素直に入学試験を受けたよ。台東分校(=東京都立城東職業能力開発センター台東分校)っていう職業訓練校だ。その世界では有名だったらしいが、しょせん職業訓練校だ。まさか落ちるとは思わなかったね。しかも、3年連続(笑)。世は空前の手製靴ブーム。職人になりたいのが一斉に押しかけたんだ。

数をこなしてみえてきたもの

台東分校に見切りをつけて、おれは民間のエスペランサ靴学院に入学した。試験に落ち続けたあいだもトラックの運転手をしていたから学費はそれでなんとかした。

ところがこれがデザインに重きを置いた学校だった。おれがやりたいのは靴づくり一本だ。見兼ねた関さんがとうとう引き取ってくれた。2年制なんだけど、1年で辞めて弟子の生活がはじまった。

週1(回)で1年くらいかな。丸ごと1足つくるって最終試験に合格して卒業したのは。

関さんはおれのことをどう扱ったもんか手を焼いたそうだ。ろくに口をきかなかったからね。別に萎縮していたわけでも機嫌が悪かったわけでもないよ。水道の仕事もトラックの仕事もみて盗むものだったからね。すっかり染みついた心得だからこればっかりはどうしようもない。

関さんだってたいがいだったよ。ほとんど説明なんてものはない。ならばとおれは関さんの手元を追った。それこそ目を皿のようにしてね。気づいたことがあれば都度メモをとった。そうやって自分の頭をさんざ悩ませて、どうしてもわからないときだけ質問をした。

靴づくりがぼんやりながらみえてきたのは手のひらを血だらけにしてすくい縫いをやったときだな。

すくい縫いはアッパーとソールをつなぐもっとも大切な工程のひとつだ。硬い革に針を通さなきゃいけないから、どうしても力任せになる。

力ってのは入れちゃだめなんだよ。

1足、2足とやっているうちに腕は疲れてくる。勢い余って親指の根元をぶっ刺しちまった。けっこうな出血量でさ、今日はもう上がれっていわれた。おれは珍しく逆らって、もう1足やらせてくださいって頼んだ。なんかね、コツがつかめたような気がしたんだ。

つまりは肩の力が抜けたってことなんだろうね。おれの手の動きは、それまでとまるで違っていた。調子に乗ってもう1足取っかかった。その1足はまさに蛇足で(笑)、少々甘いっていわれたけれど、合格点をもらえたよ。

革を縫うにはもうひとつものにしなけりゃならないことがある。針が指の一部になるってやつだ。この境地に達するには工具の手入れもきちんとしなけりゃならないし、針の先まで神経が通っているような感覚を知るのはもう少し先の話だ。数をこなしてみえてくるものがあるんだよ。

これまでにつくった数はそうだな、3000(足)じゃきかないかも知れない。

いま、すくい縫いは両足で30分かからない。速さってのは職人にとって大切な素養だ。受け仕事なら速さがそのままその日の上がりに直結するからな。ちんたらやって1足何十万(円)って、そりゃプロの仕事じゃないってのが関さんの口癖だったね。

関さんはすくい縫いを15分で仕上げた。おれはまだまだだよ。

修業時代は1回も休まなかったね。朝の弱いおれが遅刻したのもバイクで事故ったときだけ。あとがないって思いだけだった。

後編へ続く

Photo & Video: Naoto Otsubo
Video Edit: Hara Chihiro, Naoto Otsubo
Text : Kei Takegawa
Edit:Ryutaro Yanaka

橋本公宏(はしもと きみひろ)
1971年東京・大田区生まれ。高校卒業後、水道工事の作業員やトラック運転手、カラオケ店の店長など職を転々。28歳で手製靴職人を志し、紆余曲折を経て関信義に弟子入り。屋号であり、ブランド名のJ.S.T.F.は ジャパン・シューズ・テクニカル・ファクトリーの略。


【問い合わせ】
J.S.T.F.
東京都台東区清川1-27-6
03-6802-4305
http://kimi-shoes.com

Author profile

竹川 圭
竹川 圭
Kei Takegawa

エディター
ライフスタイル誌を経て独立。下町の人情と赤提灯に惹かれ、社会に出てからはイースト・トーキョーを転々とする。近著にノンフィクション『至高の靴職人』(小学館)がある。

KEYWORDS
革靴

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