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LIFESTYLE 女たちの事件簿

【実録】「人生の半分はジャニオタ」「子供をジュニアにしたかったのに…」40代主婦が語る「いまは誰にも言えない本音」

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不倫や浮気、DVにプチ風俗……。妻として、母として、ひとりの女性として社会生活を営み、穏やかに微笑んでいる彼女たちが密かに抱えている秘密とは? 夫やパートナーはもちろん、ごく近しい知人のみしか知らない、女たちの「裏の顔」をリサーチ。ほら、いまあなたの隣にいる女性も、もしかしたら……。

ジャニーズ事務所の創業者であるジャニー喜多川氏が性加害を繰り返していたことを認めたことで、各社がCMの打ち切りを始めた。

危機管理コンサルタントの平塚俊樹氏はこう話す。

「これはれっきとした人権問題です。CMへの採用を続けた結果、裁判沙汰になることすらあるように思います。海外進出をしている企業やそもそも外資系の企業は、企業イメージを守るために打ち切りにすることになるでしょうね。この問題は、長いものに巻かれる日本社会の縮図でもあります」

経営トップの判断が垣間見れる瞬間だ。

「そうですね。こういうときにどういう対応をするかは、非常に注目されます。また今回の件は、ジャニーズ事務所というひとつの企業だけでなく、マスコミも大きく関わっています。ここで一気に膿を出し切るがごとく、きちんと性加害はもちろん、人権侵害に対してNOを突きつけることができるかどうか。これは今後の日本という国が、こう言った人権問題にいかに向き合っていくのかという指針になるかと考えています」。

その一方でCM打ち切りに対しては、やりすぎだ、早急すぎるなど、タレントを擁護する声も上がっている。

「企業側は起用を続ければ世論から、起用を打ち切ればファンからと板挟み状態です」。

今回はそんなジャニオタと呼ばれるガチ勢のファンの女性に話を聞くことができた。

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©︎GettyImages

山内はるみさん(仮名・42歳)は、中学生の頃からジャニーズのファンクラブに入る生粋のジャニオタだ。

「小学生の高学年でSMAPにハマったのがきっかけです。テレビ東京で愛ラブSMAPという番組がやっていて、それを観てハマりました。ちょうど、バスケ部に入っていたこともあって3ON3企画がめちゃくちゃ好きでしたね。推しは森くん」。

筋金入りである。

「当時はインターネットはまだまだ下火で、SNSもありませんでした。だから、情報といえばテレビと雑誌、それからファンクラブからの会報くらいなものだったので、とにかくお金を貯めて雑誌を買い漁っていましたね。Myojoとか、WINK UP、POTATO…懐かしいですね。雑誌の切り抜きとかしてましたもん」。

時代を感じる話である。

「私は田舎暮らしで、コンサートをやる会場にいくにも2時間以上かかります。それに中学生や高校生の頃はお金もなく、直接彼らを見るチャンスはなかなかありませんでした。雲の上の人でしたが、今のようにいろんな情報がなかった分、いろいろと想像できてしまうところもありましたね。彼氏もいなかった私は今でいうリアコ状態でした」。

リアコとは推しに対して、リアルな恋愛感情を持つことである。

「笑っちゃいますよね。でもその当時は本気で考えてました。付き合ったら…とか、結婚したら…とか。何度も繰り返しになってしまいますが、今に比べると情報がすごく少なかったんです。だから、付き合うとかそういうことに対しても、アイドルに対しても、どこかリアルじゃないというか。夢の中、漫画の中の世界みたいな感覚でした」。

しかし転機が訪れる。推しの脱退だ。

「彼が引退を発表したときは、本当にご飯も喉が通らないくらい落ち込みました。生きる希望を失ったくらいの気持ちでした。しかも、引退したのは中学校3年の頃。ちょうど受験勉強が本格化する頃で、勉強に手がつかず、成績が急降下。親にめちゃくちゃ怒られて喧嘩になってしまって…。それで彼の脱退と同時に、ファンクラブも辞めさせられてしまったんです」。

はるみさんは親に逆らうこともできず、イヤイヤながら勉強をし高校に入学。するとそこでは別の世界が待っていた。

「初めて彼氏ができたんです。リアコからの卒業というか、目が覚めた気持ちでした。ああ、現実はこれだって。でも森くんが現役だったらこうはなっていなかったかもしれません。ただ彼はオートレーサーという、田舎者の私にとってはアイドルよりも遠い存在になってしまったんです」。

それからはるみさんがジャニーズをはじめ、アイドルを推すことしばらくなかったという。結婚をして、子どもが生まれて…。まさかまたジャニオタとして生きていく人生が待っているとは思ってもみなかったと話す。

「実際、仕事も忙しかったし、子育ても始まっていたのでこんなことになるとは思ってもみませんでした。でも、彼らを見たとき完全に心を奪われてしまったんです」。

彼らとは、あるジャニーズのグループだ。

「見た目がみんなとにかく好みだったんですが、中身を知れば知るほど、好きになりました。アイドルになるために生まれてきたような人たちで…。当時私は30歳、彼は10代。年齢を考えれば、恋愛にはならないことは頭ではわかっていましたが、気持ちはそうではありませんでした。とにかく首ったけになってしまったんです」。

当時彼女には保育園と小学生の子どもがいたという。

「子どもたちの年齢の方が、よっぽど彼に近いという状況でしたね。2人とも男の子だったので、かっこよく育てたいと急に思うようになりました。彼らは野球をやっていましたが、すぐにダンスの体験レッスンに参加。少しでも踊れた方がジャニーズに近いと思って…」。

結局、次男ははるみさんに押し切られる形で野球を辞め、ダンスを習い始めたという。

「野球はあんまり上手じゃなかったからいいかなって。それにその頃の野球は坊主が主流で、それも嫌になってしまって…。次男だけでも坊主から脱却させることができてよかったです」。

推しへの愛情が子どもにまで派生するとは知らなかった世界だ。その頃、はるみさんは小遣いのすべてをジャニオタの活動に注いでいた。

「テレビ番組の録画はもちろん、掲載雑誌を買ったり、グッズを購入するお金、それからコンサートの遠征費用を貯金していました。当時のTwitterでオタク仲間を探して繋がって情報交換したり、直接会ってお茶をするなんてこともありましたね」。

そしてついに初めてコンサートに参加することになる。

「私は2回行きました。1回はきちんとした正規のチケットでしたが、もう1回は別です。ここだけの話ですが当時はまだダフ屋が普通にいて、そこから買いました。そこまでしてでも行きたかったんです」。

その1回は、東京まで遠征をしたんだと話す。

「当時のTwitterで出会ったオタ友と一緒に行くことになっていました。お互い素性は、女性ってことくらいしか知らなくて実際に会ったら、その人は自分よりひとまわりも下のハタチの子で…。笑っちゃいましたけど、年齢なんて関係ないんですよね。すぐ意気投合して、めちゃくちゃ盛り上がりました。それ以来、彼女はうちに遊びに来てくれたりもしますよ。私にとって一番古い、オタ友ですね」。

素性をほとんど知らない他人と待ち合わせて一緒に行くとは驚きだ。改めてすごい世界である。

「次男はダンスは続けていますが、ジャニーズ入りは難しいと諦めました(笑)。どちらかといえば、長男の方が見た目がそれっぽくて、履歴書を送っておけばよかったと後悔した頃もありましたが、今になったら送らなくてよかったです。あんなことになってしまったから…」。

後編】では、最近、友達から投げつけられた「ジャニオタへの反感」について詳しくレポートしていく。

取材・文/悠木 律



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