さて、日曜(9日)午後のSNSは「山下達郎」で喧々諤々、随所でアツい議論が交わされておりました。ある音楽プロデューサーが、ジャニー喜多川氏の性加害についてメディアで言及したところ、ジャニー氏と親交のあった山下氏の所属事務所から、業務提携をあっさり切られてしまった「例の件」です。
件の音楽プロデューサーが「提携の解消については山下氏も同意していた」と投稿。それに反応する形で、山下氏が9日のラジオで自身の考えを語ったのですが、本件、情報発信・リスク管理という視点で注視すべきポイントが幾つもありまして。何よりもまず、説明の場としてラジオのトーク番組を選んだのは大きなミスでした。
今回、山下氏が世間に伝えるべき「だった」情報って、実はものすごくシンプルで、
「私は本件に直接関わっていませんが、提携解消に至った背景には、メディアでの発言以外にも複数の理由があったと聞いています」
これだけ、これだけで良かった。ズルいですが、これで「プロデューサー側にも何か要因があったのかな……」と世間を煙に巻くことが出来たんです。だって天下の山下達郎が語るんですから。逆にこれ以上余計な話はしない方が良い状況でした。それなのに、情報発信の手段にラジオを選んでしまったのね。
ラジオのトークなんて、シンプルに簡潔に、じゃ番組になりません。それなりにボリュームのある内容が必要だし、特に今回は非常に繊細な話題、事前にある程度の原稿も用意していたはず。
でもシンプルに発信すべきネタは、膨らましちゃダメ、絶対ダメなのです。にもかかわらず、結果的に本筋と関係のない話、言わなくてもいい情報を含め、文字数にして2,500文字以上、7分もの長尺で語ってしまいました。
情報リテラシーマッチョ
まず「性加害のことは知らなかった」。うん、これはまあ本当なんだと言われたら「そうですか」としか言いようがない話。でも、
「人間同士の密な関係がなければ良い作品は生まれない。才能あるタレントを輩出したジャニー喜多川氏を尊敬している」
こ、これは……もし別の意味だったとしても、密な関係が「一方通行」過ぎて問題になっているのが本件です。文脈的にこれは言うべきではなかったでしょう。さらには、
「作品にもタレントにも罪はない。彼らに敬意を持って接したい」
うーん、私、今回の件で作品やタレントを責めてる人って見たことないんですよね。論点のすり替え、と指摘されかねない発言ですから、これも避けるべきでした。
このあたりから、恐らく原稿を離れフリーで話し始めたようで、「タレントたちには、解散せず、仲良く活動を続けていって欲しい。再結成して欲しい」という、それ今でしたっけ? みたいな話題に脱線しつつ、最後に例のアレが放たれました。
「私の姿勢を忖度、長いものに巻かれていると解釈されるのであれば構わない。そういう方々に私の音楽は不要でしょう」
これ、たぶん台本にない本心なのでは。私はリスク管理の視点でこの件をウォッチしていましたが、そもそも山下氏には「火消し」するつもりなんて毛頭無く、ラジオで言いたいことを言い、世間体より、自分が世話になったジャニー氏に対する気持ちを通した、ということなんでしょう。マッチョですね、情報リテラシーマッチョ。
ネット上の反応を見ても、ファンとそれ以外とで、反響や温度感がかなり違っていました。そのあたりがマッチョの裏付けになっているのかもしれません。
Text:小木曽健(国際大学GLOCOM客員研究員)
※本記事のタイトルはFORZA STYLE編集部によるものです。