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FASHION 百“靴”争鳴

野球がつないだ、三陽山長 猿渡さんの青春ドラマ Vol.2

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野球部を退部し、いよいよファッションの世界へ

野球に見切りをつけたわたしは、大学などからも誘いがありましたが、ことごとく断りました。

三陽商会の社会人野球のチームに入ったのは、軟式だからそこまで本気にならなくて済むと考えたからでした。先輩も何人か所属していましたしね。

チームには失礼な話ですが、どこか身が入っていなかったんでしょう。入社1週間前に原チャリで事故を起こして半年、ギプス生活を送りました。24(歳)の年にふたたび怪我をして野球人生はあっけなく終わりました。

退部後はメンズウェアの営業に配属されました。野球バカを地でいくわたしはことあるごとに上司に盾突きました。とりわけそのものづくりについて。それは営業目線というんだとあしらわれてもひるまなかった。手を焼いた上司はわたしを企画部に放り込みました。そこまでいうならやってみろってわけです。放り込まれて、自分の未熟さをいやというほど知りました。

野球バカではありましたが、ファッションにもそれなりに親しんできました。父がデニムにアイロンをかける人だったんです。子どものころは父のハーレーダヴィッドソンのケツにまたがって米軍基地へいったものです。ふたりで軍の放出品を漁りました。

とはいえ、周りはファッション偏差値が高い人ばかりです。この時期、人知れぬ苦労をしましたね。いまも癒えていないので、このころのエピソードは勘弁してください(笑)。

 

第3回へ、つづく

猿渡伸平(えんどしんぺい)
1970年神奈川県横浜市生まれ。日体大荏原高校卒業後、三陽商会の野球部に所属。引退後、営業、企画を経て三陽山長の創立メンバーに。現在は三陽山長を含むオウンブランドの責任者として活躍する。

【問い合わせ】
三陽山長
http://www.sanyoyamacho.com

Photo:Simpei Suzuki
Text:Kei Takegawa
Edit:Ryutaro Yanaka



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