FASHION 百“靴”争鳴

日本で はじめてゴアテックス®を登山靴に仕込んだ男の物語。登山靴の第一人者、森本勇夫

百靴争鳴。日夜美しい靴作りに情熱を燃やし合う、異色の靴職人たちへのインタビュー集。

植村直己や三浦雄一郎が愛した登山靴、ゴロー

親方としてその屋号を半世紀にわたって守ってきた職人、森本勇夫さんが満を持して登場します。

腕っこきの父親にしごかれる

生まれは牛込。親父が靴職人で、物心ついたときには仕事を手伝っていました。学校が終わると、毎日。小四で浅草までの定期をつくらされ、靴ができあがると電車に揺られて その街に工房を構える親方のところへ納めにいったものです。遊びたい盛りですから、辛かった。しかし辛いとはいえ、それはありふれた光景でしたから、逆らうようなことはありませんでした。

中学へ入ったころには すでに半人前になっていました。丸ごと一足つくれるようになっていた わたしは、調子に乗って雇いの職人と底付けの速さ勝負をしました。一足いくらの工賃で仕事をする出来高制の時分。速さは職人にとって大切な素養です。さすが その職人は速かった。負けじと焦ったわたしは人差し指と中指のあいだを深く突き刺してしまった。4針縫いました。縫った跡は しっかり残っています。

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靴づくりに本腰を入れるべく、高校は夜間へ。ここで めきめきと腕をあげたわたしは もう靴職人としてやっていこうと決めて、一学期の中途で退学しました。

楽しかったのかって? 仕事をそういう風に考える時代ではありません。つくれば金が入り、飯が食える。それだけです。

だいたいが わたしはブキッチョなタチですからね。右腕だった製甲職人は「こんなにブキッチョな人間は みたことがない」と わたしのことをしょっちゅう からかったものです。事実ですから、ちっとも腹は立ちませんでした。

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親父は器用でした。紳士靴、婦人靴はもちろん、スケートシューズやゴルフシューズもつくっていました。あちこちで靴づくりを学んだようです。きちんと聞いたことがなかったので詳しいことはわかりません。口癖は、「おれがつくれないのは草鞋だけ」。

靴の協会が主催するコンテストでは一等をとったと自慢していましたが、実際 その腕は たしかでした。子ども心に この人はすごいと思ったのがソールのカーヴィング。親父は じつに精巧にミッキーマウスや将棋の駒を掘っていました。

暇つぶしにつくった模型飛行機も すごかったらしい。エンジン付きのそれ、木の塊から削り出したそうです。どういうわけか軍の目にとまって接収されたとか。おそらく射撃練習の的にしたんでしょう。

腕が見込まれ、わたしが中学のときには登山家なら知らぬ人はいない店から声がかかった。たしかそのころはサッカー選手の保田(道夫)さんのスパイクもつくっていましたね。

ゴアテックスに目をつける

残念ながら親父の才能を受け継がなかったわたしは、その代わりといってはなんだが、あたらしいものを考えることが好きだった。アイデアが頭に浮かんだら、寝る間も惜しんで ああでもない、こうでもないと こねくりまわしたものです。

知る人ぞ知る話ですが、ゴアテックス®を日本で はじめて登山靴に採用したのはゴローなんですよ。頑丈なブーツはどうしたって蒸れる。この問題を解消すべく目をつけたのが雨具として出まわりはじめたゴアテックス®でした。こいつをアッパーにすればいいんじゃないかと閃いたわたしは代理店を探し出して売ってくれといいました。すると、担当者は「これからはブーティ(靴内部に装填する袋状のもの)の時代ですよ」といった。

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インナーにゴアテックスデュラサーモを使用することで保温性と防水性を確保した二重構造の「エグリー」5万5000円(税抜)

なるほどそういうものかと合点したわたしはブーティを仕入れてサンプルづくりに取りかかりましたが、これがたいそう手こずりました。糊は透湿性を損なうから使えない。釘も穴を開けちゃうから やっぱり使えない。納得がいくものができあがるまでに1年かかりましたね。先に商品化したダナーのことは後から知りました。

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差し障りがあるので名前は明かせませんが、そのブーツは小説のモデルにもなられた登山家が注文主でした。

フェルトとヴィブラムソールをマジックテープで留めたソールも懐かしい思い出。沢登りにはフェルトのソールを使う。二層構造にすれば それ一足で沢登りができて山が登れるというわけです。なにが悪かったのか、これは売れませんでしたね(笑)。

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当時のヴィブラムでは対応の難しかった 険しい岩壁用のクライミングシューズもつくりました。シート状のゴムを輸入して、うちで成型してね。それまで使っていたボンドじゃくっつかなくて、ボンド探しにも難儀したソールでした。

世の中にないものをかたちにする。職人にとっては、冥利につきるというものです。

30の年にゴローを開業

はじめは1畳半の押入れを改造して、そこで親父と一緒に靴をつくっていました。当時は取り仕事で、一足800円とかだったんじゃないかな。

がんばって働いて、20歳のときに埼玉の川口にトタン屋根の一軒家を借りて工房に。そして26歳で西巣鴨の一軒家を買った。一階が3坪ほどの工房で、二階が倉庫でした。

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この西巣鴨の家を売って建てたのが現在 店として使っている本駒込の建物。工房を兼ねた店でした。東十条に工房をこしらえたのは いまから5年くらいまえ。床は板張りにしました。コンクリートは いけません。体が冷えてしまいますからね。

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ゴローの名を冠して登山靴をつくりはじめたのは本駒込に出てきたときです。わたしがちょうど30(歳)の年でした。親父と弟、それに見習いの4人でスタートしました。

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ずっと下請けでやってきたけれど、下請けってのは儲からないし、ほんとうにつくりたいものが つくれない。自分が信じる靴をお客さんに じかに売ってみたかったんです。

ゴローを屋号にしたのは、それが親父の名前だったから。死んでも名前が残るようにという思いでつけたのに、親の心子知らずのあべこべってやつで 親父はあんまり気に入っていなかったようです。「はい、ゴローです」って電話に出ると、「なんだい、呼び捨てにしやがって」ってね(笑)。

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商材は登山靴とウォーキングシューズに絞った。誰もが認める腕っこきの職人だったのに、親父は紳士靴や婦人靴は骨が折れるから つくりたくないっていうんです。もちろん、ブキッチョなわたしにとっても悪くない話。

ただ、怖さもありました。というのも、少しまえにスキーブーツが それまでのレザーから一気にプラスチックに変わったのを目の当たりにしていたからです。登山靴が いつそうなったっておかしくない。不安な思いを抱えたままの船出でした。

登山家の代名詞に

3年、4年は閑古鳥が鳴いていましたね。卸と並行していたから なんとかなったけれど。

それでもめげずにつづけていると、口コミで次第に注文が入るようになった。いまだにお付き合いさせていただいている明治大学の山岳部には贔屓にしてもらった。そうして植村直己さん(同大農学部出身)もお客さんになりました。

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GettyImages

植村さんは五大陸最高峰登頂、犬ぞり単独北極点到達、マッキンリー(現デナリ)冬季単独登頂など数々の世界初の称号を手に入れて国民栄誉賞を受賞した昭和の偉人ですね。マッキンリーで消息不明になってしまったのは、返す返すも残念なことでした。

注文は、日本冬季エベレスト隊のブーツ。植村さんは明治大学山岳部OBを主体としたそのチームの隊長でした。隊員含めて10数足をつくらせていただきました。

わたしも仕事柄、山に登ります。時間があれば毎週のように繰り出しました。百名山のうち、40くらいは登ったんじゃないかな。そういう経験があるとはいえ、マイナス30度の世界は想像もつきません。とりあえず あったかくしようと思ってインナーに いつものフェルトに代えて羊の毛皮を使った。植村さんは「お任せします」としか いわない人でしたが、あれは重かったんじゃないかなぁ。

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というのも風間深志さんに不具合を指摘されたからです。風間さんはオートバイによる史上初の北極点・南極点到達、チョモランマ挑戦時の世界最高高度記録(6005メートル)を達成した、やはり世界に冠たる日本人です。

北極用のブーツをご注文いただいて、おんなじように羊の毛皮でつくりました。帰国した風間さんは開口一番、「あたたかすぎるし、重いよ」って。次は南極にいくっていうんで毛皮の量を少なくしました。

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軽量化への挑戦は、片時も頭を離れることのないテーマでした。ゴアテックス®ブーティの採用はその工夫のひとつだし、ソールをスポンジにするなど ひとつひとつのパーツを徹底して吟味してきました。それぞれは微々たるものでも、寄せ集めればそれなりに軽くなる。

植村さんが南米大陸最高峰のアコンカグアを登ったときのブーツをつくったのも わたしでした。そうそう、有名なところでは三浦雄一郎さんもお客さんでしたね。

後編へつづく

Photo:Shimpei Suzuki
Text:Kei Takegawa
Edit:Ryutaro Yanaka

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森本勇夫(もりもと いさお)
1942年東京・牛込生まれ。小学生のころから靴職人だった父の手伝いをはじめる。夜間高校に入学するも一学期で退学、靴職人になる。1973年、ゴローを東京・巣鴨にオープン。顧客リストには植村直己や三浦雄一郎ら日本を代表する登山家が名を連ねた。

【問い合わせ】

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ゴロー

東京都文京区本駒込6-4-2
03-3945-0855
営業:10:00〜18:00
定休:火
http://www.goro.co.jp



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