その靴のオーラに吸い寄せられるように弟子入りを果たし、徹底して鍛えられた橋本公宏。しかし立ち上がりはけして順風満帆ではありませんでした。ようやく花開こうとしている現在を語ろうと思えば、たしかな仕事ぶりもさることながら、人情のかたまりのようなキャラクターも見逃せません。東日本大震災の翌日、早朝から自転車をかっ飛ばして取引先の革屋や材料屋、なじみの呑み屋を1軒1軒たずねてまわったのは いまも語り草になっています。
下請けを選んだ、痺れるような生き様
独立当初こそ叔父貴のところに居候して そこんとこの靴をつくっていたから なんとかなったものの、仲違いして(笑)浅草に来てからは しばらく食えなかった。
面接にさ、自分でつくった靴をもっていったら これがとんでもない社長でさ。それくらいの靴なら うちにはつくれるのが10人はいるっていいやがったのよ。その場で履歴書破いて帰ったね。
履歴書が塵と消えたのは1回じゃきかない(笑)。就職は諦めて自分でやることにした。
はじめは修理仕事だったね。一所懸命こなしているうちに1社、2社と取引先が増えていった。ひとりじゃ手がまわらなくなってうちに置いたのが(佐藤)日向子だ。見学に来た子なんだけど、気づけば 5年。もっとも長くいた人間だ。あとから入った矢藤(達郎。YATOH代表)と結婚して、いまは ふたりでがんばっているよ。
そんなこんなで徐々に下請け仕事ももらえるようになった。いまでも続く坂本乗馬靴とか、藤沢(宣彰。エフジー・トラント代表)のオリジナルとかね。そうそう、バックボーンの靴もずいぶんつくったな。
なんとか軌道に乗ってこのビルに越したのは 7年前かな。1棟丸ごと借りて、1階を工房、2階から上をおれんとこと弟子の寝床にしている。現在の弟子は 3人。うちから巣立ったのは日向子夫婦含めて5人だ。
1足つくれる技術は身につけたけれど、近ごろの若手のように自分の名前で売り出すなんて発想は微塵もなかったね。
この業界は自分さえ良ければいいってのが多いし、嫌っていうほどそういうやつらをみてきたからな。おれは当たり前のように仲間と一緒に靴をつくるという昔ながらのスタイルを選んだ。
考えてみればガキのころに叩き込まれた性分だね。羽田の祭りはいまも参加するよ。お囃子会に入会したのは中2のことだから、地元の連中との付き合いは靴よりもはるかに長い。
忘れちゃいけないのが関さんだ。これからの時代は職人も表に出ていけといえてしまう、垢抜けた人だったけど、あくまで自分は黒子に徹した。関さんという存在が靴職人としてのおれをつくったのは間違いない。
前にも書いてもらったけど、関さんには死ぬまで職人を続けてほしかった。辞めるっていっても辞めさせない。それでも辞めることになったら、おれはそのときはじめて泣くかも知れないってね。
ガンを患って引退を余儀なくされたが手術は無事に成功した。弟子(関門下生にはほかに姉弟子の津久井玲子、兄弟子の高野圭太郎がいる)を集めた忘年会はいまだ欠かさず行われているけれど、育てる義務から解放されたからなのか、とにかくうるさくってかなわないよ(笑)。
1世紀先も続く工房にするために
本来は 下請けでいいと思っていたんだけどさ、親方になるとそうもいっていられない。弟子を食わせなければならないだろ。食わせるには安定した仕事が必要だ。下請けには波があるから、それだけじゃあ、うまくない。
オリジナルをつくったのはそういう懐事情があったからだ。ただね、じつは立ち上げたはいいが、ほとんど商売になっていなかった。売るには売るプロが必要なんだ。
その道のプロがおれを盛り立ててくれて、あちこち話がまとまった。差し障りがあるんで名前は出せないけれど、若くして商社の取締役を張った男や老舗革靴ブランドの木型職人がこのプロジェクトにはかかわっている。
損得抜きに付き合っていれば、おのずと馬の合う人間が集まってくるものだよ。
それには真面目な話、夜の付き合いも大切だ。バロンの物件を引っ張ってきてくれたオヤジも仲間のひとりだが、このオヤジはせっかくうまい日本酒を呑んでいても10時の声が聞こえるとそわそわしだす。んで、有無をいわさず勘定済ませてクラブに繰り出すんだ。もう60過ぎてんのにさ。店に着くなり電池が切れたみたいに寝ちゃうんだけど、しばらくするとむっくり起き出して、調子っぱずれの歌を散々歌って、ホステスのおっぱいを揉んで帰る(笑)。
そうそう、バロンってのが秋にオープンする店だ。オーダーメイドの店なんだけど、おもしれぇのはそのラインナップ。婦人靴やブライダルシューズ、スニーカー、カバンに加えてスーツやジュエリー、ペイントアートまで揃うんだ。いってみれば、オーダーのセレクトショップだね。世界を見渡しても珍しいんじゃないかな。もちろんメンツはオール・メイド・イン・ジャパン。
J.S.T.F.を 1世紀先も存続する組織にしたいと思っている。それには仲間が必要だし、つないでくれる若手も育てなければならない。
おれが工房に降りていくのはたいてい昼過ぎ。夜は夜で呑みに出るだろ(笑)。曲がりなりにもうちが注文をこなせているのは若いのが朝から晩までやってくれるからなんだ。そういう意味じゃ、もういつバトンタッチしてもいいね。
Photo : Naoto Otsubo
Text : Kei Takegawa
Edit:Ryutaro Yanaka