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「飛び込んだ先に見た世界」ハリウッド俳優 窪塚洋介が語る【沈黙の真実】

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神は”自分”という教会の中にいるんだよね

2017年1月に公開された、巨匠マーティン・スコセッシ氏が企画・監督をした大作映画「沈黙‐サイレンス‐」で念願のハリウッド進出を果たした俳優/レゲエDeejayの窪塚洋介。彼は常に自分の心と対話し、正直に向き合い、そしてそこで得たビジョンを演技や音楽を通して我々に訴えかけます。ハリウッドデビューを果たした今、希有な俳優は何を考えているのでしょうか。編集makikoが迫ります。

編集makiko(以下makiko): 映画「沈黙‐サイレンス‐」公開おめでとうございます。公開後すぐに観に行ったけれど本当に素晴らしかったです。

窪塚洋介氏(以下 窪塚): ありがとう!! 俺も感無量です。

makiko: 私の両親は長崎出身なのですが、沈黙を観て、出演者の方々の長崎弁が完璧だと驚いていました(笑)。

窪塚: 長崎弁のレクチャーの人がいてくれたんです。本当にみんなが喜んで自分の最大限以上の力を発揮しようとしている現場だったから、すごく気持ちよかった。

日本からもエキストラさんだけで100人とか呼ばれてて。それで1週間撮影なんで、1週間宿代飯代出してあげたり。そこだけ見たって邦画とはスケールが全然違うんです。マーティン・スコセッシは非常に日本に敬意を払ってくれていて、原作者・遠藤周作さんにはもちろん、日本のスタッフやキャスト、ひいては日本全体へのリスペクトを感じました。それだけで俺たちは嬉しくなって、喜んで自分の時間や力を捧げたんです。だからなのか、撮影そのものが神がかっていたこともあります。霧が出て欲しいところで、実際に霧が出たりね。

makiko: 今回演じたキチジローをどう思いますか?

窪塚: まぁみんなというか、遠藤周作さんもそうだけど、弱くて醜くてずるくて汚いような捉え方をして、一言で言えば弱き者という言い方をされる役だけど、俺は裏返しで「キチジローは実は強いんじゃないかな」って思うことがある。実際自分で役をやると、彼の人生を追体験するみたいなところもあるんですよね。だからこそ改めてそう思ったなというのもある。

撮影を通して彼の人生を生きてみて、感じたのは、彼って俺よりももっと思慮深くないし、いろんなことを考えているというタイプではないけど、だからこそ理屈じゃなくて素直に自分の心に従う。彼のその“自分の心に従う”ということの強さ…弱いからそうしてしまったという見方もあるけどね。

当時は踏み絵を踏むことを“転ぶ”と表現しているけれど、俺はそれを「すごい上手い言い方をしてるな」と思っていて。キチジローは“転んでは起き上がる”ということをずっと続けた奴だからね。彼自身もどこか“踏み絵を踏むことには慣れていた”という感じ。別に“踏み絵を踏んでも自分自身が変わっていなければ、何も変わらないんだ”ってことを体感として知ってしまっていたというか。それはある意味では強さなんじゃないかなと思う。


makiko: 私は学生時代に原作も読んでいて、当時読んだときは「キチジローって信用ならないな」と思ったの。自分の身を守るために平気でキリスト様を踏む姿に信念を感じられなかった。でもあの映画をみたときにその認識が180度変わった。実はこの作品中で一番ピュアな人って、キチジローなんじゃないかなって。例えば宗教ってキリスト教に限らず「シンボリズム」ですよね? 神様って形のないものだからみんなに分かりやすいような形(聖像)に落とし込んで、それを崇拝することで意識を統制していく。

でも本当は神様って一人ひとりの心の中にあって、自身の拠り所であるべきで、自分が弱いときは弱くていいんだと思うんです。転ぶこともあってもいいって。何度転んでもキチジローは常に信仰に戻り、神に寄り添っていく。彼が一番人間らしくて、宗教の本質を無意識に知っているというか、“心で神の意識を感じられる人”なんじゃないかなと思ったんですよね。

窪塚: 俺もそう思う。「沈黙‐サイレンス‐」というタイトルは、“やはり神は沈黙している”ということを絶妙に表現している。あの映画が何をやっているかというと、一番分かりやすい言い方でいうと「キリスト教に風穴を開けてしまった映画だ」と俺は思うんですよね。要は「神は教会にいない」ってこと。「神はそれぞれの体という教会の中にいる」ということを伝えてしまっている映画だと思うから、そういう意味ではとんでもない作品なんです。

聖書って世界で一番読まれている本で、世界のベストセラーが宗教本であるということは、俺らが生きているこの世界…言い方を変えればキリスト教圏とも言われるけれど、この世界にとって「沈黙‐サイレンス‐」は非常に異端な作品なんですよね。

それなのになぜ世界中で「沈黙‐サイレンス‐」を公開することが出来たかっていうと、実は原作に唯一描かれていないシーンが映画の中にあって、観てくれたから覚えてると思うけど最後のシーン、埋葬前に甕棺に入れられたロドリゴがクロスを持っているということ。あのカットをパスポートにして、マーティン・スコセッシはさっきのメッセージとともに「沈黙‐サイレンス‐」を世界にぶち込んだってことなんですよ。

そしてその映画の中で俺はキチジローを演じられて…卍LINE(窪塚氏のレゲエDeejay名)の音楽活動を通して考えると、今まで自分自身が伝えてきたメッセージをこういう形で体現できたというか。もちろん時代も役も何もかもが違うけど、本当に意味のある作品に出ることができました。

実はマーティン・スコセッシが企画・監督した映画は、この世に3作しかなくて「タクシードライバー」「レイジングブル」「沈黙‐サイレンス‐」なんです。だからもしあの方がいつか亡くなった時に、DVDが出ることになって3本選ぶとなったら、「沈黙‐サイレンス‐」を含むこの3本になるだろうと言われていて…という視点で鑑みても彼の作品に参加できたということは、ほんとにありがたいことだけど、それがなんと「世界を根底から覆すような作品」ということが、本当に嬉しいし光栄です。

makiko: 本当に!マーティン・スコセッシ監督の作品は昔から好きでほぼ全て観ているのだけど、どれもメッセージ性が強いですよね。でも「沈黙‐サイレンス‐」は特にそれを強く感じた。ところで、洋介さん自身は宗教ってありますか?

NEXT>>>「宇宙は自分自身の中にある、自分で答えを見つけるんだ」



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