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FASHION 僕が捨てなかった服

イタリアを持ってきたオトコ 成毛賢次 第1回「リベラーノ&リベラーノ」のジャケット

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人生には、どうしても手放せなかった服、そう「捨てなかった服」があります。そんな服にこそ、真の価値を見出せるものではないでしょうか。そこで、この連載では、ファッション業界の先人たちが、人生に於いて「捨てなかった服」を紹介。その人なりのこだわりや良いものを詳らかにし、スタイルのある人物のファッション観に迫ることにします。

リベラーノと出会い、初めて作ることになった記念の一着

人生には、どうしても手放せなかった服、そう「捨てなかった服」があります。そんな服にこそ、真の価値を見出せるものではないでしょうか。そこで、この連載では、ファッション業界の先人たちが、人生に於いて「捨てなかった服」を紹介。その人なりのこだわりや良いものを詳らかにし、スタイルのある人物のファッション観に迫ることにします。スタイリストの小沢 宏氏に続いて登場するのは、数多くのイタリアブランドを日本に紹介した成毛賢次さん。成毛さんが膨大な数を所有してきた中でも捨てられなかった服をご紹介する企画、第1回は「リベラーノ&リベラーノ」のジャケットです。

このリベラーノ&リベラーノのジャケットなんかは、僕にとってのマスターピース。いの一番がコレで、ここから始まったんです。これを仕立てた頃はキートンの仕事をしていたからキートンのスーツを着るべきだっていう意識を持っていたんだけど、ルイジボレッリのファビオさんの結婚式で偶然にもアントニオ・リベラーノさんが僕の隣の席だった。僕は彼を知らなかったんですが、向こうは僕を知ってるって言ってきまして。

その後も楽しく話してたら、「ピッティ行くんだろ? そのとき顔出せよ。ケンジに合う生地あるから」と誘われたので、後日ご挨拶へと伺ったところ、既に生地が用意されていて、採寸されて、仕立てて貰うことになったんです。1987年ですから30年くらい前の話です。

ジャケットは肩をより強調して作っていたし、ラペルもデカいし、キートンのスーツなんかと並べてみると一目瞭然で違っていたから、斬新かつ新鮮でした。ただ、これを着てると、みんなから「どこのだ?」って聞かれて、ピッティの帰り道リベラーノさんのお店を通ると、その人たちがみんなお店に来ていた(笑)。リベラーノさんは「ケンジが着て歩いてるだけでいいんだ」と、宣伝にも使われてたようですね。

僕や「マーロ」の創設者 アルフレッド・カネッサが、なぜリベラーノに通ったかというと、とにかく生地が面白かったんです。他のどこに行っても見かけない生地を探してきては僕らに作ってくれた。この生地だって、最初は立つぐらい硬かったし(笑)。まだ一度も洗っていないんですが、日干しして叩いて、やっと柔らかくなってきた。でも、これからまだ柔らかく着やすくなってくると思います。

これを機に、リベラーノさんとは仲良くなり、いい生地を見つける度に「ケンジに合う生地があるから」と言っては呼ばれ、いろいろなアイテムを仕立ててもらうことになりましたし、そのきっかけというか最初のアイテムなので、決して手放すことはできませんね。

Photo:Riki kashiwabara
Edit:Ryutaro yanaka

成毛賢次元マニファットゥーレ・アッソチャーテ カシミア・ジャパン代表「マーロ」や「キートン」、「ルイジボレッリ」など数々のイタリアブランドを日本に紹介し、編集長・干場いわく"イタリアを持ってきたオトコ"。東京・押上で生まれ、小学生時代からオシャレをして銀座へと足を運び、みゆき族とともに遊んだという早熟ぶり。


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