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【連載】一匹狼宣言 Vol.7「コロンタイの幻が甦る」高橋龍太郎

2016.5.12
2016.5.12

保育園では少子化は止められない

東京オリンピックの公式エンブレムがようやく決まった。個人的にはこの市松模様のぎくしゃくしたバランスの悪さが好きになれない。まだパラリンピックのものの方が動きが感じられるので、こちらをメインにした方がという気持ちも残る。よりいいと思えるのは招致用に使ったサクラの花いっぱいのエンブレム。華があっていい。もっといえば1964年の亀倉雄策によるエンブレム。あれは日本のグラフィックデザイン史上最高のもので、年号だけかえて再使用してもよかったのではないか。宗達の「風神雷神図」を光琳が80年後模写したように。「なぞらえ」は日本文化の伝統なのだから。

サザンによる『東京VICTORY』など東京讃歌の歌がこれからも増えるだろうが、最初に東京を歌ったヒット曲というと、何を思い浮かべるだろうか。

何といっても盆踊りに使われる『東京音頭』という人が多いかもしれない。1933年(昭和8年)、前年に『丸ノ内音頭』として発表されたものがこの年改題されて勝太郎の力強い歌声とともに全国に響きわたる。満州事変勃発の2年後だった。

そのヒットの熱狂ぶりは社会現象というべきもので、都内中の空地にやぐらが立てられて、その歌を聞くと老若男女とともに狂ったように踊り出したという。平気で人の家に上がり込んで踊りだしたり、江戸末期の「ええじゃないか」の流行のようだったと、高校の日本史の講師に教わったことがある。近づく戦争への不安な気分が熱狂に拍車をかけたのだろうか。ちなみに戦後GHQによって禁止された2番は
 「東京よいとこ 日本(ひのもと)てらす
  君が御稜威(いみず)は、君が御稜威は天(あま)照らす」

その4年前、1929年(昭和4年)には、同じ西條八十作詞、中山晋平作曲による『東京行進曲』(※記事最下部の動画をご参照ください)が作られている。

 「昔恋しい銀座の柳
  仇な年増を誰が知ろ
  ジャズで踊ってリキュルで更けて
  明けりゃダンサーの涙雨」
  で始まるこの曲の4番は現在では
 「シネマ見ましょかお茶のみましょか
  いっそ小田急で逃げましょか」
  になっているが、西條八十の原案では
 「長い髪してマルクスボーイ
 今日も抱える『赤い恋』」

とされている。当時はマボ(マルクスボーイ)、エガ(エンゲルスガール)がロシアの革命家A.M.コロンタイの『赤い恋』を抱えるのが流行の最先端だった。

『赤い恋』は、1927年に日本で翻訳が刊行され1930年には78版を数えるベストセラーになっている。1928年にはコロンタイの『三代の恋-恋愛の道』も翻訳され、母の愛する継父と「水をのみたかったから飲むだけ」といわんばかりに関係し、誰の子か分からない妊娠をする娘ゼニアの奔放さが、当時大論争になった。しかし国家の消滅を目指す共産主義にとって私有制の根拠である家族の解体は必然であり、家族がなくなるのであれば、性行為は各人のその場その場の自由な感情と意志でしかないのは論理的な帰結でもあった。その結果、子供が生まれれば、それこそ集団で保育すればよい、それこそが共産主義であるとコロンタイは主張した。

コロンタイの著作は1969年『働き蜂の恋』として再訳され、この性の自由を訴えた三部作は当時ウィリアム・ライヒの性政治学(性的抑圧からの解放が政治的開放をもたらすとした)とともに、全共闘世代に大きく影響を与えることとなった。

自由な性の最初の提唱者としての側面ばかり取り上げられることの多いコロンタイであるが、彼女の理論の最も注目すべきところは私有制に根ざす国家の消滅が家族の死滅をもたらし、その結果、恋愛は自由を取り戻す。生まれた子供たちは、共同養育によって育てられるべきだとしたところにある。自由性交が行われれば、誰の子供であるかは問題なくなり、社会の子供として集団で養育されるべきであると考えたのだ。

この極端な考えは、ソ連のなかではしだいに受け入れられないものとなり、彼女は政治的中枢から遠ざけられ、人生の後半は一外交官として役割を終えることとなった。

それから100年後日本にコロンタイが甦ったといったら驚くだろうか?

村田沙耶香の描く『消滅世界』がそれである。

千葉の実験都市のなかに完成された『楽園システム』では、全員がすべての『ヒト』の子供であり、『おかあさん』となる。異性間の性交はなくなり、人工授精によって子供たちは生まれ、子供たちはすべての大人達から『愛情のシャワー』を浴びる存在となって人類の命を繋いでいく。

子供たちの私有はなくなり、まさにコロンタイが夢みた人類の共同の子供たちがそこにはいる。コロンタイの場合は性愛の過剰さゆえに生まれた子供たちの共同保育であるが、村田沙耶香の場合は、皆が異性愛をしなくなる性愛の過少さがゆえに、人工授精をすることで生み出された共同保育である。

保育園問題が大きな政治問題になっている。勿論働きたい女性たちにとって過不足なく保育園が預けることのできるシステムは今日では不可欠なものになっていることは論をまたない。ただ、保育園問題には三歳児問題がつきまとう。

1998年『厚生白書』は「三歳児神話には、少なくとも合理的な取扱いは認められない」とした。その前年、共働きの家族の数が専業主婦を上まわる傾向がはっきりした年であった。三歳児神話とは「子供は三歳までは、家庭にいて母親の手で育てないと子供のその後の成長に何らかの影響がでる」といった学説であった。

乳幼児は母親との幻想的な一体感から、個別の個体として分離していくのだが、その分離不安を乗り越えることができる、その時期が三歳だと言われてきたので、三歳児神話として確立してきた。特に境界性人格障害はその分離不安をうまく越えられなかったことによるのではという言説が広がったことによって一層の神話化を促した。

厚生省はその後の国会答弁で「三歳児神話というのは、明確にそれを肯定する根拠も否定する根拠も見当たらない」と微妙な修正を加えている。

私にはそれについて明確な根拠を示せる何ものも持ち合わせていないが、専門医として気になるいくつかの傾向をあげておきたい。

1) いわゆる発達障害等、コミュニケーションが他の人となかなかうまく取れていない人々がここ10年急増していること。(勿論、発達障害に遺伝負因が大きいことは承知の上だが)
2) 恋愛することにあまり興味を示さない人がかなり増えていること。
3) いわゆるキャラクターやTVのタレントへの擬似的な恋愛感情がなかなか卒業できない人々が増えていること。

これは、『消滅世界』で極端な形で描かれているが、まさにそのままの世界である。そこでは夫婦の性交は近親相姦として退けられ、恋愛はキャラクターに対するものだけが認められている。個人的なコミュニケーションは殆ど必要とされず全体の流れの中ですべてのコミュニケーションはできあがってしまっている。この小説は本の帯にあるようなディストピアどころか、私たちの社会の隣り合せでしかないのだ。

私にとっての仮説は、母親という唯一無二の存在への執着が人間の基本的なコミュニケーションの根拠であり、母親を独占することが将来の性愛への導きになるのではというものである。だから人へのこだわりは3歳児までの母子密着によってその基礎が出来上がると考えている。繰り返すがあくまで仮説である。ただ余りに三歳児神話の終焉を説かれると、大丈夫かと心配になってしまう。

人が人を愛せなくなる位、この世の中で淋しいことはない。もし私の仮説が何らか意味あるものとお感じになるなら3才までは出来る範囲でできるだけの母子密着の時間を取ってもらいたいものである。(集団での保育の時間が多いとどうしても母子の一体感が生まれにくい)

三砂ちづる『女が女になること』のなかに戦後を代表する女流作家、石牟礼道子、森崎和江がともに男性の背広も自分で縫ったとの記述がある。その世代の女たちは何でも作れたし、女の手仕事、家事、育児を当たり前のようにこなしていた。文中にこうある

「家事は家族全員の安寧を担保する行為であり、・・・祈りに直結していた。」

今日のように家事が疎んぜられている時代はこれまでなかったろう。私のもうひとつの仮説を言わせてもらうと、共働きは環境破壊を招くというものである。

独立行政法人労働政策研究・研修機構「専業主婦世帯数と共働き世帯数の推移」
▲拡大画像表示

人類の歴史の中で男女は、互いの役割を一定に決めて何千年と過ごしてきた。今、男女の役割差はなくなり、男も女も同じように働き始めている。しかし社会労働は、自然に対する侵襲をどうしても伴う。専業主婦家族であれば、ある程度で済んだ侵襲は共働きになれば更に拡がるだろう。(勿論、専業主夫でもシェアでも構わない。ただし母子密着の問題は残るが)。

私たちは、そろそろ地球と環境のペースに合わせて労働を減らし、身の丈を縮めて、人類のなかにもっと愛が溢れる生き方を選んで行った方がいいのではないだろうか。

保育園では少子化は解決しない。むしろ恋愛や性交への低温状態が最大の問題なのだ。

「セックス」「家族」も世界から滅びる消滅世界は、コロンタイと村田沙耶香が、警告している悪夢だと思いたい。

オリンピックの熱狂が『東京音頭』とまではいかずとも私たちの愛の低温状態に火を点けてくれることを望んでいる。

さもなくば私たちはいずれ「人類」の消滅に立ち会うことになるだろう。

 

書き手:高橋 龍太郎

 

精神科医、医療法人社団こころの会理事長。 1946年生まれ。東邦大学医学部卒、慶応大学精神神経科入局。国際協力事業団の医療専門家としてのペルー派遣、都立荏原病院勤務などを経て、1990年東京蒲田に、タカハシクリニックを開設。 専攻は社会精神医学。デイ・ケア、訪問看護を中心に地域精神医療に取り組むとともに、15年以上ニッポン放送のテレフォン人生相談の回答者をつとめるなど、心理相談、ビジネスマンのメンタルヘルス・ケアにも力を入れている。現代美術のコレクターでもあり、所蔵作品は2000点以上にもおよぶ。

 

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