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【連載】一匹狼宣言 Vol.6「ドコモのCMはなぜ負けるのか」高橋龍太郎

2016.4.19
2016.4.19

不機嫌な社会と日本の未来

タレント・歌手によるスプリングセンテンス事件。イクメン提唱議員の不倫、「五体不満足」者による不倫。バトミントン有力2選手の違法カジノ事件。週刊誌の追求はかまびすしいが、少し度が過ぎはしないだろうか。それによって刑事事件になったならともかく、タレントがTVに出られなくなったり、衆議院議員が辞職したり、オリンピックに出られなくなったり。ある程度社会的制裁を伴うのはしょうがないにしても、やったことと失ったものとのバランスが釣り合わない気がする。

不倫ごときや世界中で行われているカジノがたまたま日本で違法だからといって、ここまでいためつけられるのはなんか寒々しい光景だ。人間国宝を噂されていた落語家が20年近く不倫をしていたことで非難され、直前まで会っていたのに、「ここ2ヶ月は会ってません」等と見っとも無い言い分をしたのも残念。

立川談志は「落語とは人間の業の肯定」と喝破したが、それ位居直って「不倫さんいらっしゃい、オヨヨ」等と笑い飛ばしてもよかったのではないか。芸能に生きている人は私たちの願望の化身なのだから、5股や6股いくらでも恋や不倫をかけもちして頂いて、私たちを羨ましがらせてもらいたいものだ。

(イタリアでは破天荒の代名詞ベルルスコーニが大統領を務めていたというのに)

そうでもないとそのうちこのアーチストは不倫しているので作品を買わないとか、美術館で展示するのは、いかがなものかと言われかねない。とにかくアーチストには作品でも破天荒であって欲しいが、実生活でも破天荒であって欲しい。

この息苦しい気分はどうしたのだろうか。山崎正和は著作『不機嫌の時代』で、20代の志賀直哉、30代の永井荷風、40代の夏目漱石、さらには50代であった森鴎外にも見られた明治40年代初頭の不機嫌な気分について触れている。「日本人の全体が自分の生きる場所と役割を見失おうとしていたと言える」時代であった。

かかる時代の自分の身辺の感情の不適合さを、志賀直哉の『大津順吉』から「不機嫌」という言葉を抜き出して、この時代を「不機嫌の時代」と名付けたこの評論は日本人の潜在的な感情を見事に表現している。江戸期の日本人の様子には笑いが絶えなかったとどの外国人の紀行には書いてあるが、明治以降外国との闘いに明け暮れる日本人には、それがうまくいかなくなる度に、こんな気分が蔓延するものらしい。

バブルはじけて失われた10年と言われた90年代にもピータータスカは『不機嫌な時代』で日本人の閉塞的な気分を表現した。それから20年。オリンピック招致景気に短く湧いたと思ったら、又日本人は不機嫌になりつつあるのだろうか。その不機嫌さがゆえに他人への監視や物言いがきつくなっているのだろうか。


NTTドコモのCMが気になる。残念ながらいい意味でなく、悪い意味だが。NTTドコモといえばここ何年かの退潮傾向を巻き返し、この1年は純増数も3社で一番になったり、経常も回復傾向が目立つ。

しかしドコモのCMの存在感のなさは、どうだろう。

出演している俳優は、堤真一、綾野剛、高畑充希と一流どころなのだが今は新聞社、以前は警察が舞台だ。要するに仕事が舞台になっている。

他方ソフトバンクは家族が舞台。auは御伽噺が舞台。ソフトバンクのテーマは基本的には父権の喪失とそれでも家族が支えあう暖かい家族そして、笑い。auは、御伽噺の主人公達の友情と愛。双方いずれも明るい。見ている側をほのぼのとさせてくれる。

一方、ドコモのキャラクターはいつもどなっている。割引を伝えるにも大声をあげている。何10年も前の刑事ドラマや記者ドラマじゃあるまいし、何かどなったりすると真剣味でも伝わるとでも思っているのだろうか。そしてキャラクターたちの表情は一応に暗い。不機嫌そうだ。しかも声を荒げる。

多分ドコモの関係者やCMを作った人達は、強い衝撃を与えれば、強く印象に残ってなかなか忘れないだろうと考えたのだろう。しかしその人達が誤っているのは、大声をあげたり、怒ってみせたり、人にとってあまり愉快じゃない記憶は、人間にはすぐに忘れ去ろうとする働きがあることに気付かないことだろう。一方で笑いとか、友情とか愛の表現はゆるやかだが人の記憶に残っていく。それは、類的存在として群れをなして生きていく私達人類が自然に獲ちとった共感能力でもある。

CMのようになるべく消費者の記憶の中で長続きさせようとしたら、笑いや情感に訴えるべきで、怒りや大声でどなる方法を使っても記憶の中で長続きさせてくれない。ソフトバンクとauのCMは好感度調査でいつもトップを競うが、ドコモは好感度を競った試しがない。

ドコモの苛立ちは分からないでもない。国内第一のキャリアとして、他の2社以上に足枷がある上に、いつでもNo.1然としていなければならない。加えてここ数年の低落傾向は目に余った。あの俳優たちの不機嫌さは、ドコモ当事者の不機嫌さなのかもしれない。

しかも職場が舞台である。確かに職場では携帯は重要なツールだが、今は携帯はむしろ、家族や友人達のコミュニケーションツールとしての役割の方がずっと大きくなっているだろう。あのCMでは、若い世代でドコモを使おうという人はいない。いや若い世代を除いて、仕事を中心に売っていくにしても、笑いのないCMでは人々の記憶には残っていかない。せめてロト7くらいの笑いをとってほしいものだ。

ドコモの国際戦略が巨額の損失を抱えて失敗して久しい。物造りでは最高のレベルまでいった日本の資本主義も、そこから次のステップに踏み出せないまま、中国韓国から追われる日々である。次はハードではなくてどうやってソフトの世界で存在感が出せるのかが問われるわけだが、ドコモのCMには古い物造りの仕事の臭いが残っている。

多分、ドコモのCMは日本の資本主義の典型的な表徴なのだろう。そこに大らかさと明るさと笑いと共感がみつけられないとしたら、日本の未来は今より更に暗いものになってしまうだろう。不機嫌を上機嫌に変えていくには、何が必要なのか?

(日本の資本主義を象徴する株式市場)

花田清輝は、敗戦直後の1949年に『ユーモレスク』と題した一文を記し、そのなかにこう書いた。「ガルゲンフモールとは、事態のすべての推移を、悲喜劇的なのとして、一切の価値関係を顛倒させることによってうまれるのだ」。ガルゲンとは絞首台、フモールは諧謔。

訳せば窮余の諧謔ともなるか。絞首台という絶対的な悲劇を前にしながら、なお笑いを忘れない精神を花田は、戦後の復興期の精神として位置づけたのだ。多分私達には、その悲喜劇的な状況にあって尚、笑いを忘れないしたたかな精神が必要なのだろう。不機嫌時代にあって尚、上機嫌な気分でいることはドコモのCMの課題でもあり、次の日本を創る私達の課題でもある。

ちょっとありきたりの終わりになってしまったので、ここまで読んだ人はネットでもいいから落語の「後生鰻」(※当記事最下部の動画をご参照ください)を聴いて頂きたいと思う。その内容はあまりにブラックでここでは書けないがこれぞガルゲンフモールだと合点されること請け合いである。これこそが不機嫌時代を生き抜く諧謔だろう。

件の落語家も、「後生鰻なんてとんでもありません」とちょっとはぐらかしておけば人間国宝まちがいなしだったんだけれど。

Photo: gettyimages

書き手:高橋 龍太郎

精神科医、医療法人社団こころの会理事長。 1946年生まれ。東邦大学医学部卒、慶応大学精神神経科入局。国際協力事業団の医療専門家としてのペルー派遣、都立荏原病院勤務などを経て、1990年東京蒲田に、タカハシクリニックを開設。 専攻は社会精神医学。デイ・ケア、訪問看護を中心に地域精神医療に取り組むとともに、15年以上ニッポン放送のテレフォン人生相談の回答者をつとめるなど、心理相談、ビジネスマンのメンタルヘルス・ケアにも力を入れている。現代美術のコレクターでもあり、所蔵作品は2000点以上にもおよぶ。

 

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