皆さんこんにちは。中年B、ノリシゲセイイチ(57)です。
スーパーカー少年にとってのスーパーカーとは、カウンタックとBBを双璧とすることは疑いようのない事実ですが、大人になってジワるのが後輪駆動のGTモデルです。とくにフェラーリはレースの歴史が長いだけありセレブたちに大人気。
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ヴィンテージカー、あるいはクラシックカーの相場を見ていても、むしろ我々はラッキーかもしれません。スーパーカーの神であるミウラこそ1億越えですが、カウンタックもBBもまだまだお買い得。一発逆転の夢がもてます。
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さて、今回のお題であるジワるGTといえば、これまたランボルギーニの独壇場であります。
なかでも『イスレロ』は生産期間が1968年から1969年(モデルイヤー)というもっとも短命なモデルであると同時に、2+2(前席+補助的後席)GTの中期的モデル。無論、最終進化系は『ハラマ』となります。
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創業者であるフェルッツィオ・ランボルギーニは当初“速く快適なGTカー”造りを夢見ていたのですが、1970年代のマーケットはより強い刺激を求めていたのかもしれません。ミッドシップレイアウトの『ミウラ』、4シーターGTの『エスパーダ』が売れ続ける一方で、その中間的パッケージをもつ2+2GTは販売面で苦戦を強いられていました。
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しかし、ランボルギーニのファーストプロダクトである『350GT』の流れをくむシリーズだけに、フェルッツィオは継続生産にこだわります。『400GT』の生産を担当していたカロッツェリア・ツーリング・スーパーレッジェーラ倒産後も、同社のデザイナーだったカルロ・マラッツィ率いるカロッツェリア・マラッツィに生産を委託。フェルッツィオ自らアイディアを盛り込んだ『イスレロ』を世に送り出すのです。
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【Lamborghini Islero】
Year of manufacture:1968 – 1969
Engine:V 12 – 4-litre displacement
Power:350 HP
Max. speed:Islero 250 km/h / Islero S 260 km/h
Number of pieces:Islero 155 / Islero S 70
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上記の参考データは現在のランボルギーニ社のリリースによる公表値です。ですが、正確には前期型イスレロが320HP、後期型イスレロSが350HPであるというのが正解のようです。
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しかし、『イスレロ』最大の魅力は歴史的最初のコンセプトカー『350GTV』がもっていたコスト高の要因となるリトラクダブル式ヘッドライトを、この機に及んで復活させたそのスタイリングにあるのではないでしょうか。
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搭載するエンジンはどちらも4リッターV12。ですが、イスレロSでは圧縮比が9.5から10.8へ高められているという資料があり、そのパフォーマンスの向上を裏付けます。また、生産台数についても同様に諸説存在しています。
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不確かな記録はさておき、『イスレロ』は闘牛由来の車名をもつ2番目のモデルとして誕生しました。1番目は1966年の『ミウラ』であり、これは名ブリーダーの牧場の名前を起源にもちます。
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一方、『イスレロ』は個体そのものの名前であり、伝説のマタドール『マノレテ』(1917年7月4日~1947年8月29日)を葬り去ったコレまた伝説級のモサでありました。ちなみに“マノレテ”は愛称であり、正確には突進する闘牛をヒラリと交わす技を意味します。大観衆が放つ「オーレ!」の掛け声が聞こえてきそうですね。
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『マノレテ』の本名はマヌエル・ラウレアーノ・ロドリゲス・サンチェスといいます。コルドバ出身で14歳(1931年)からキャリアをスタート。内戦下のスペインで頭角を現し22歳(1937年)で正闘牛士に昇格。その実力を開花させ1940年代を代表する人気マタドールに成長します。参加競技大会数は500回オーバー。対戦数は1590頭。そして……享年30歳。
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この伝説のマタドール『マノレテ』の生涯を描いた映画があります。原題は『Manolete』。日本では『マノレテ 情熱のマタドール』の題名でDVDが発売されましたので、現在でもなんとか入手し鑑賞することが可能かもしれません。ちなみにタイトルは地域で異なり、英国『The Passion Within』、米国『A Matador's Mistress』、カナダ『Blood and Passion』なので興味をそそります。
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映画は主役のマノレテをエイドリアン・ブロディ、その恋人である妖艶なヒロインをペネロペ・クロスという二人のオスカー俳優が演じます。監督・脚本はメノ・メイエス。『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』、『マーシャル・ロー』の監督といえばイメージしやすいでしょうか。
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『イスレロ』の名を発想したフェルッツィオの思い。ひょっとしたら最後にたどり着くランボルギーニはこのグラントゥーリズモなのかもしれません。
Text:Seiichi Norishige