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CAR スーパーカー回顧録

ランボルギーニのチーター。ランボが生んだ伝説のSUV回顧録。

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皆さんこんにちは。中年B、ノリシゲセイイチ(57)です。

熱狂のスーパーカーブームの思い出はすでに遠い記憶の彼方。ですが、異色のトピックとして脳裏に刻まれている1台がランボルギーニ初のSUV、『LM002』の起源となった『ランボルギーニ・チーター』(1977年)です。

恐らく自動車雑誌で見たのだろうと思うのですが、スーパーカー少年は所詮ハナタレ小僧ですから、チーターといえば『水前寺清子』です。脳内では『三百六十五歩のマーチ』(1968年)が鳴り響きます。いま思うに「幸せは歩いてこない」という重い出だしの歌詞はどうかと思いますが、そのインパクトはいずれも絶大。

で、色々調べてみたのですが、開発の経緯がよくわかりません。定説とされるのは米国MTI(モビリティ・テクノロジー・インターナショナル)の依頼でランボルギーニが開発したという流れです。

1977年当時のランボルギーニといえば、もはや倒産か? という大ピンチの分水嶺。1971年のボリビアのクーデターによる同社トラクターの大量キャンセル、これに続く1974年のオイルショックで創業者フェルッツィオ・ランボルギーニはダウン寸前。株式の49%を既に手放していました。

そんな経緯を前提に妄想すると、起死回生の一発逆転を狙ったのかもしれません。チーターはそもそも米国陸軍へのプレゼン車両です。うまく契約がまとまり納入が決まればバイデンジャンプ級の事件となります。まさにドミニオンパワー&ハレルーヤ!

チーターの設計は前出MTIのロドニー・ファレスが担当。クライスラー製5.9リッターV8エンジンを採用したミッドシップレイアウトの多目的車両でした。どこかハンヴィーに似ていますね。

ところがこのモデル、競合企業からパクリ疑惑を指摘されあえなく撃沈。大きなシノギが泡と化します。

時は流れて1981年。フェルッツィオは手元に残る全株式を手放し、会社はフランスの実業家であるパトリック・ミムランの手に渡ってしまいます。しかし、きっとチーターは心で歌い続けたのでしょう。新生ランボルギーニにSUV構想が持ち上がります。そして『LM001』が誕生するのです。

車名の『LM』には2つの説があります。ひとつはランボルギーニ・ミリタリー。もうひとつはランボルギーニ・ミムランの頭文字です。


©︎gettyimages

『LM001』は『チーター』同様にミッドシップレイアウトを採用していました。エンジンはAMC製5.9リッターV8へと変更されましたが、オプションとしてランボルギーニ製V12も選べるという設定でした。

翌1982年。いよいよ量産化をにらんだ『LMA002』が誕生します(AはAntiore)。操縦安定性を改善するためエンジンの搭載位置をミッドからフロントに変更。カウンタックLP500S用エンジンを搭載し開発がすすめられました。

そして1986年。ついにピュア・ランボルギーニのファーストSUV、ファイティングブルのエンブレムが与えられた『LM002』が完成します。チーターはあれから4年も歌い続けたんですね素晴らしい!


©︎gettyimages

『LM002』の搭載エンジンはカウンタックとともに進化を遂げ、デビュー時には5.2リッターの排気量を獲得していました。市販モデルの最高出力は450hp / 6800rpm。まさに機は熟したという感じです。

この『LM002』は1992年まで生産され、後期型ではインジェクション仕様で492hpの最高出力を誇る限定車も登場します。ちなみに1987年からクライスラー傘下となっていますので、このエンジンはディアブロ用といわれます。

現在のランボルギーニによるオフィシャルリリースでは『LM002』の総生産台数は300台と発表されています。このなかにパリ・ダカール・ラリーに参戦したモデルが含まれるのかどうかわかりませんが、現存する車両は大変希少な歴史的モデルであることに変わりはありません。

ワンオフの派生仕様など深堀すればさらにエピソードがありそうな『LM002』。日常的にカラオケで熱唱可能となるその日まで、ひとまずお開きといたしましょう(ソレ、ワン・ツー、 ワン・ツー)。

Text:Seiichi Norishige



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