「コーヒー飲む?」
「いらない......」
「ご飯、おかわりは?」
「もうお腹いっぱい......」
ごくごく普通の、よくある夫婦の会話です。
でもこの会話にはコミュニケーションの大前提がすっかり抜け落ちています。
それは相手に対する気遣い、思いやり。
「コーヒー飲む?」
こう言ってくれた相手が夫や妻ではなく、友人や同僚だったらどうでしょう?
「いらない」で済ませてしまうのはちょっと失礼。常識のある大人なら、コーヒーを淹れようとしてくれているその気持ちに感謝のひと言を添えるはずです。
「ありがとう、でも、いまはいいや」
「もうお腹いっぱいで......。ごちそうさま!」
といった具合です。
パートナーは親でも兄弟でもない
ところが、こと夫婦の会話となると、この基本を忘れてしまう人が実に多い。
それは相手を「家族」と思っているから。「家族が相手なんだからぞんざいに話していい」という甘えがあるから。
夫婦にはそれぞれの親やきょうだいといった「家族」があります。そして、多くの人は自分の家族に対して甘え・依存があります。
「この人は私のことを愛してくれる、許してくれる。何も言わなくても、私のことをわかってくれる。よほどのことをしても私のことを簡単には捨てない」という思い込みがあるのです(もちろんそれを「安心感」「安らぎ」と言う人もいますが)。
「靴下どこ?」
「ご飯まだ?」
普通なら絶対に他人には言わないこんな不躾な言葉を、家族にぶつけた経験はきっと誰にでもあるはず。
それが許されたのは、受け止める側が寛大な愛を持っていたか、渋々受け入れてくれていたから。いわば「家族」だったからです。
結婚して夫婦になった相手は無条件で許してくれる親でも、〝あうん〞の呼吸で通じ合うきょうだいでもありません。