デヴィ夫人について、意外と知らない人も多いのでは?
圧倒的な美貌、圧倒的な知見と経験を持ち、世の女性からの憧れを集めるデヴィ夫人(82)。
Instagram、YouTube、バラエティ番組への出演など、82歳とは思えないアクティブさは常に話題を集めていますが、今の若い人の中にはデヴィ夫人のことをよく知らない人も多いのも事実。
今回は夫人の約50年間の美貌とともに、改めてデヴィ夫人のことについて知っていきましょう!
1965年

当時25歳のデヴィ夫人。白黒で加工のない時代にこの写りとは、あまりにも美しすぎます……! こんな人が街を歩いていたら振り向かざるを得ないですし、話しかけざるを得ません。
名前と風貌から外国人に思われがちなデヴィ夫人、血統は日本人なのです。1962年、インドネシア共和国初代大統領スカルノと結婚したことで、インドネシア国籍に変更しています。
旧名は根元七保子、現在の本名はラトナ・サリ・デヴィ・スカルノです。この名前はスカルノ大統領から与えられたもので「宝石の精なる女神」という意味があるそうです。まさに夫人の美貌に相応しい名前ですよね。
1967年

ヨーロッパの美術館に飾られていてもおかしくない絵画のようなこの1枚は、1967年当時27歳のデヴィ夫人です。慈愛に満ちたデヴィ夫人の表情に、こちらも清らかな気持ちになりますよね。
共に写る赤ちゃんは夫人の1人娘、カリナさんです。当時、インドネシアは軍事クーデターで夫であるスカルノ大統領が失脚したため、デヴィ夫人も命の危険にさらされ、日本に逃げたのちの出産となったのです。
1976年

当時36歳のデヴィ夫人です。「アラフォー!?」 「子持ち!?」そんな声が聞こえてきそうな美貌にひれ伏さざるを得ません。
「東洋の真珠」「社交界の華」など、多くの異名を持つデヴィ夫人。それは美貌、大統領夫人という肩書だけでなく、語学力やコミュニケーション能力など、デヴィ夫人の努力あってこそ。
西麻布生まれと聞くと、お金持ちのお嬢様を想像しそうですが、実際は幼い頃は貧しい生活を送っていたそうです。家計のために若いうちから働きに出たことが、その後の夫人の人生を大きく変えることになったのですね。
1980年

モノクロ写真にリーゼント、そしてこの美貌。どれ一つとっても様になっていますよね。当時40歳とはとても思えません。
デヴィ夫人といえばスッと伸びた背筋、美しいスタイルの印象がありますよね。体型には人一倍気を使っているそうで、ニットなど緩いシルエットの服は一切着ないそうです。過去には「人間の身体は鋳型にはめておかないとだらしなくなってしまう、だから私はニットを着ない。」と発言されています。
1993年

当時53歳のデヴィ夫人。目鼻立ちがはっきりした日本人離れしたルックスを改めて認識することができます。
自分の意志をはっきり示し、道を切り開いてきたデヴィ夫人。そのぶんトラブルも多い、というのが中高年の方のデヴィ夫人に対する印象かもしれません。この写真の1年前の1992年には傷害罪で逮捕・実刑判決で収監されていたこともあるのです。
やはり只者ではない、美貌も経歴も桁違いのデヴィ夫人です。
2005年

こちらは当時65歳のデヴィ夫人。これが65歳のデコルテだなんて、こんなに美しいことがありましょうか……!
上記の通り、体型に人一倍気を付けているというデヴィ夫人。実際に体型が変わったのは妊娠のときだけであり、妊娠にいち早く気づいたのは衣装のデザイナーであった森英恵さんだったそうです。
2016年

ラストは2016年のデヴィ夫人です。2022年現在、ここからすでに6年経っていますが、ほとんど変化のないような、むしろ1993年あたりから変化が何もありませんね……。
2020年の自身の傘寿記念パーティーでは、「私は100歳まで生きようと思っています、全ての敵が死ぬまで。」となんとも物騒かつらしい名言を残したデヴィ夫人。このままだと100歳になってもこの美貌のままかもしれません、不老不死とはこのことを指すのでしょうか……?
いかがでしたか? 直近30年はほとんど変化がなかったようにも思えましたが、生まれ持った美貌、保つ努力、行動力、教養。すべての経験がデヴィ夫人の美しさを作り上げていることがわかります。多方面で活躍するデヴィ夫人の今後に、これからも目が離せません!
Text:celebrity watchers☆MF