FASHION ― 百“靴”争鳴

【靴職人のリアル】六本木に佇む「町の靴屋」グレンストックの場合

2020.8.28 2020.8.28
2020.8.28
百靴争鳴。日夜美しい靴作りに情熱を燃やし合う、異色の靴職人たちへのインタビュー集。

外苑東通りを5分ほど下って右に折れると、六本木の喧騒が嘘のようにひっそりとした一角があらわれます。その地になじむように佇んでいるのが、グレンストック。キャッチコピーは、“町の靴屋”。オーナーを務める五宝賢太郎さんは腰の低いキャッチコピーを鵜呑みにすると後悔すること必至のシューメーカーです。

英国靴の本流

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アッパーを触ってみてください。柔らかいのが おわかりになりますか。(目を見開いたぼくをみて、五宝さん、にんまりして)秘密は芯材にあります。このサンプル、サイドヴァンプという芯材を省いているんです。

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ライトオンスと呼ぶコンストラクションで、イギリスはノーサンプトンの北、マーケット・ハーボローあたりではポピュラーなものです。マーケット・ハーボローはビスポークのアウトワーカーが軒を連ねる町です。かれらにいわせれば、芯材でガチガチに固めるのは量産仕様であり、ビスポークシューズは本来、こういうものだそうです。

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半カラスの拭き漆(生漆を塗り、余分な漆を拭く、という作業を繰り返す技法)も かの地で学んだ技法ですね。

やるからには英国靴の本流をかたちにしたいと思っています。

ただ、それは先の楽しみにとっておいても いいかなって考えています。なぜならやりたいことがいっぱいあるからです。

自前のランドセル

埼玉の蕨で創業したグレンストックは2015年、2号店を六本木に出しました。午前中は蕨の店でビスポークなど頭のつかう仕事を集中的にやって、昼前に六本木の店に入ると企業のディレクションやOEMをこなしつつ、お店にやってこられるお客さまの修理を受けています。

蕨は靴どころです。製靴業は日本有数の産地、浅草から日光街道を北上するように広まっていったんですが、その流れで蕨も靴の町として形成されました。某セレクトショップの靴修理をその創業から一貫して請け負ってきた職人も ここに工房を構えていました。

師匠の稲村有好はこの地で時代屋という修理屋を営んでいました。テレビで彼のことを知ったんですが、ちょっとすごい人でした。

師匠は軍靴で鳴らした根岸の稲村製靴の三代目として1941年に生まれました。幼少のエピソードを挙げるとすれば ランドセルですね。父親から手ほどきを受けた師匠は、小学校入学を前に自分でつくっちゃったそうです。偉人伝に出てきそうな話でしょ。

長じて誰もが知るブランドをいくつか立ち上げたあとは、サンプルメーカーや底付け、製甲の職人として活躍、60歳の年に それら外注仕事と二足のわらじで始めたのが時代屋でした。

弟子入りするまでも、そして弟子入りしてからも、その日々は筆舌には尽くしがたいものでしたが(笑)、ひとまずここでは置いておきます。

弟子入りして5年目のある日のことでした。師匠は白血病で倒れ、その10日後に亡くなりました。亡くなる直前、師匠はぼくにこういいました── 3年は時代屋をつづけろ。そっから先の屋号は好きにすればいい。五宝賢太郎として大きな仕事を残していけるようがんばれよ。

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ぼくはこの約束を守り、受け継いで3年後の2010年にグレンストックを立ち上げました。

プロの道をあきらめて

物心ついたときから ものづくりが好きでした。使い終わったティッシュの箱は決まって靴に改造されたものです(笑)。でね、あるとき気がついた。この六面体、父が履いているワラビーに似ているぞって。ぼくは彫刻が得意なんですが、立体ゲージの発想がそのころからあったんでしょうね。逆さまから絵も描けるし、字も書けます。切り絵も下書きなしにつくれます。頭にイメージが浮かんだら、かたちにすることができる。

甲にあたる部分を斜めにカットして、ホチキスでとめて、紐を通して、タンスの滑り止めをソールがわりに貼りつけました。小3の夏休みの自由課題で提出したら、先生がえらく褒めてくれた。

それから毎年のように靴をつくってきました。小5のときは父の革ジャンをバラして靴にしました。バレてとっても大きな雷が落ちました(笑)。そのエピソードが書かれた記事がみつかってしまい、最近もまた怒られました(笑)。

靴のほかには絵を描くことと昆虫採集にハマりました。どれも飽きることなくつづけてきた趣味で、靴は仕事になりました。

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それ以上に打ち込んだのがバスケ。小学校からはじめて、県選抜にも選ばれた。高3の夏はキャプテンとしてインターハイ出場を目指すつもりでした。ところが高2のときに骨折してしまった。右足首の舟状骨と立方骨をダメにしました。88㎝を誇った垂直跳びは もはや望むべくもありません。大阪体育大学からお誘いいただいていましたが、推薦入学の話もなくなりました。

そんなぼくを救ってくれたのもバスケでした。バスケはトライアル・アンド・エラーのスポーツです。ゆえに気持ちの切り替えが なによりも大切です。失敗するたびに天を仰いでいたら そのたびに点を入れられちゃいますからね。くよくよせず、次から次へと。これはもう、ぼくの習い性といっていいものです。グレンストックのミーティングは朝三暮四ですから、スタッフは大変だと思う(笑)。いま、うちには4人のスタッフがいます。

プロが無理なら体育か美術の教師か。まんじりともせず天井を見上げて過ごしていた入院生活中に飛び込んできたのが、茨城大学が生活用品デザイン科を新設するというニュースでした。

先ほども申し上げたように、靴づくりは小学校を卒業してからも向き合ってきました。中学時代も夏休みの宿題は決まって靴でしたし、高校では掛け持ちしていた美術部でつくりました(高校のころにつくったというアディダスのプロモデルをモチーフにしたスニーカーをみせてもらったが、子どもの工作の域をはるかに超えていた)。

ここで学べば、いつか仕事として靴がつくれるんじゃないか。そう考えたぼくは いてもたってもいられず、両親にその大学を受験したい旨伝えました。両親は高田喜佐やフェラガモの本を買ってきてくれました。靴職人というものがどういうものかはよくわからなかったけれど、モデルケースはある。バスケで鍛えた瞬発力で、ぼくは松葉杖をついて推薦入試に向かいました。面接してくれた教授は靴を想定していなかったようですが、なるほど靴もたしかにプロダクトだなって。

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ぼくの足首には現在、チタンが埋まっています。担当医師はていねいに骨の構造、筋肉の構造を説明してくれ、チタンに変えることのメリット、デメリットを話してくれた。ぼくはがぜん、足に興味をもつようになりました。このことも靴職人の道に進ませるきっかけになったと思う。

おかげさまで足の具合は良好です。正座はできないけれど、バスケはいまも週1回のペースでやっています。

五宝家は鎌倉の時代からつづく家系で、代々教職を務めてきたそうです。五つの宝を子どもに与えるから五宝、というわけです。祖父の翁太郎は銅像にもなりました。聾唖学校を創始し、初代校長を務め、障害者教育の先駆者といわれたそうです。親ももちろん教師で、兄弟3人は教職の課程をとったものの、なぜかひとりとして教師にはなりませんでした。なかでももっとも遠いところにいるのがぼくかも知れません(笑)。

皮切り包丁がノールックで飛んできた

大学3年からはじまる実習先に選んだのが時代屋でした。お金のないぼくは勇気凛々、茨城から自転車で6時間かけて時代屋へ突撃しました。ところが はしなくも門前払いでした。ぼくがこれまでにつくってきた靴も けちょんけちょんにいわれました。木型の存在も知らなかったんだから、仕方ありませんね。

だからといって引き下がるわけにはいきません。ぼくはぼくの本気を知ってもらうため、頭を丸めて ふたたび突撃しました。しかし丸坊主のぼくをみても、師匠の心の扉はビクともしませんでした。ならばと次の日もその次の日も顔を出して、用もないのに工房に居座りました。

毎日のように通うぼくは愛車の黄色い自転車とともに近所でちょっとした有名人になっていました。そのうちまわりの同業者が使ってあげなよ、と師匠に口を利いてくれるようになった。師匠もさすがに根負けしました。記憶は定かではないのですが、おそらく門前払いを食らった日から数ヵ月後のことでしょうか。念願の仕事が与えられました。それはナイロンテープに延々接着剤を塗る作業でした。

なんとか弟子入りを認められたぼくは、すみやかに蕨へと引っ越しました。バスケで鍛えた健脚をもってしても、靴づくりをしながら片道6時間の自転車通いは さすがにキツいだろうと判断しました(笑)。

ようやくはじまった修行時代は あらゆる面で過酷を極めました。

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修行の身で ものがいえる立場じゃないのはわかっていますが、2ヵ月フルで働いて、給料は4万円でした。これでは生活できないと夜は赤羽で路上靴磨きをはじめました。磨き代は一足500円。二足磨けば その日の晩飯にありつけるという寸法です。ところがはじめてそうそう、一晩で1万2500円を稼いだ。ぼくはうれしくなってしまって、仲間を呼んでワタミで使い切りました。バカでしたね。そんな簡単に稼げるものじゃない。あとあとまで、あのときのお金は大切に残しておくべきだったと後悔しました(笑)。

現場は文字どおり、真剣勝負でした。ミスを犯そうものなら皮切り庖丁がノールックで飛んできましたからね(笑)。

もちろん懇切丁寧に教えてくるようなことはありません。まさに技はみて盗みました。そんな人だったから、いわれたことは いまも心に刻まれています。曰く、外はぱりっと、中はふわっと。曰く、手数を減らして、手間を増やせ──。

辛かったけれど、辞めようと思う気持ちは これっぽっちもなかったですね。師匠が飲み終わった頃合いを見計らって、銀座の寿司屋へ迎えにいったのもいい思い出です。

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そのころ ぼくは木型の正解を積分で出せないかとこれに挑戦したことがあります。しかし答えにはたどり着けませんでした。当然ですよね。なぜならば靴には捨て寸や余り寸といったものがあるからです。さらに対象が革靴かスニーカーかで考え方は変わってくる。家具なら設計図ひとつで済むのに靴はそういうわけにはいかない。大学時代はいろいろなプロダクトに接する機会があったけれど、やっぱり靴だなって思った。

大学卒業後もそのまま修行をつづけました。そのころにはデザイン画を任せられるようになっていたから、すこしは気が楽でした。ほら、まだ丁稚のままだったら親に顔向けできませんから。

兄弟子も何人かいましたが、お尻のほうは紙型と底付けもやらせてもらえるように。それでも最後の最後まで、下手だ糞だの罵詈雑言でした(笑)。

そのときに染みついたもので、朝のスタートは4時。そのかわり夜はバタンキューですけどね(笑)。

Video&Photo:Naoto Otsubo
Text:Kei Takegawa
Edit:Ryutaro Yanaka

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五宝賢太郎(ごほう けんたろう)
1981年、徳島県生まれ。茨城大学生活用品デザイン科在学中より稲村有好に師事。2007年に工房を引き継ぎ、10年に屋号をグレンストックに改める。15年に六本木店をオープン。

グレンストック 六本木店

【問い合わせ】
グレンストック 六本木店
東京都港区六本木5-16-19
03-6277-7129
営業:11:00〜20:00
定休:日曜
http://grenstock.org
 

Author profile

竹川 圭
竹川 圭
Takegawa Kei

エディター
ライフスタイル誌を経て独立。下町の人情と赤提灯に惹かれ、社会に出てからはイースト・トーキョーを転々とする。近著にノンフィクション『至高の靴職人』(小学館)がある。

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