FASHION ― 百“靴”争鳴

【シュープランナー 荒井弘史】
マシンとハンドに優劣をつけるのは間違っていると思う〜後編〜

2020.5.24 2020.5.24
2020.5.24

後編は荒井さんが靴づくりを生業とするまでの物語。根っからの理系人間だった荒井さんはなぜ、靴の世界に足を踏み入れたのか。その萌芽はすでに学生時代にみてとれました。

前編は、こちら
※取材・撮影は自粛以前、3月後半に行いました。
企業城下町からの脱出
 
生まれ育ったのは茨城の日立。ご存じ日立製作所の企業城下町です。わたしは ろくに考えることもなく高専を選びました。高専は工業や商船の専門技術者を養成する5年制の学校ですね。
 
茨城工業高等専門学校という地元の高専に進みましたが、音楽や自転車にかまけて ほとんど勉強はしませんでした。いざ就職が視野に入ってもまったく頭が切り替わらない。モラトリアム期間と称して山形大学の工学部に編入しました。
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これが掛け値なしに素晴らしいところだった。自然豊かな山形にすっかり魅せられてしまったわたしは渓流釣りばかりやっていましたね。自分で釣った魚を自分で焼いて食べる。最高でした。
 
そうこうしているうちにバブルが弾け、就職戦線を直撃します。ゼミの教授が就職先を決めてくれる時代はとっくに終わっていた。大きな会社には入れないだろうし、よしんば入れたところで待遇も期待できない。
 
むかしから大きな組織の歯車になるのは いやだなぁとぼんやり感じていたんですが、その思いがぐっと輪郭を鮮明にした。頭に浮かんだのは、これ以上生活が便利になる必要があるんだろうかと、ということ。いまこの世の中の便利を担保するために研ぎ澄ましていった社会の成り立ちにも違和感があった。わたしがなにも考えずにレールに乗ったらつくっていたであろうプロダクトの価値は、売り場に並んだ瞬間が100%で、使ううちに目減りしていき、売れ残れば処分される。
 
そこから導き出した仮説は、まるっと自分でつくって売ることができたら、それはいいんじゃないかというものでした。
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魚釣りは子どものころからの趣味。釣った魚は母親に天ぷらにしてもらったものです。この嗜好は山形に移り住んで拍車がかかった。渓流釣りはもちろん、宮城興業の社員になってからは畑を借りて野菜もつくりました。漁師や農家になればよかったじゃないかって。……。たしかにそうですね。そっち方面は考えたこともありませんでした。
 
でね、靴はどうだろうと閃いたんです。革を使ったプロダクトって使い込めば味になる。この点で少なくとも家電製品よりは興味がもてるだろうと思った。いまのように手製靴職人が注目されるずっと前の話ですから、なんなら靴も多くの工業製品同様、無人のオートメーションの世界でつくられているかも知れない……そんな不安がちらりとよぎったものの、まずはこの目で確かめてみようと決めた。大学の先生に靴がつくりたいって相談したら、とっても驚いた顔をしていたけれど、山形にも工場があるよと教えてくれた。それが宮城興業でした。
コバ磨き3年を経て少量多品種の切り込み隊長に
 
宮城興業は、わたしがイメージした工場とは まるで別物でした。機械を使っているとはいえ、どれも人が手をかけてやらなければならないクラシカルなものばかり。そこから生み出される靴はプロダクトというよりもクラフトであり、アートだった。
 
働かせてほしいとお願いしたら、リストラしたばっかりだから無理だって けんもほろろ(笑)。それでもなんとかって食い下がったら、じゃ、アルバイトするかって。それが当時専務で現社長の高橋(和義)さんでした。不景気とはいえ、夏はそこそこ忙しい。秋冬物をつくる時期ですからね。紐通しとか糊付けとか そんなことばかりやっていましたが、現場にいるだけで楽しかった。
 
冬はさすがに暇になる。わたしはお役御免となりましたが、ちょくちょく顔を出していました。もうね、靴に触りたくて仕方がなかった。釣り込めば立体になり、コテを掛けてれば えもいわれぬ光沢が生まれる。たまンないです。就活もしないで そのままずるずると居座っていたら、高橋さんも根負けした。1年契約でとってもらいました。
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わたしが入社したころは かつて手製靴職人として鳴らした工員もいて、仕事終わりには手ほどきを受けることができた。けどね、みんな呑みにいきたいでしょ。わたしに隠れてこっそり帰ろうとするんです。「教えてくれるっていったじゃないですか〜」 毎晩のようにわたしの叫びが構内を こだましました(笑)。
 
そのころは5時になるのをタイムカードの前で待っている工員や、収穫の時期をまるまる休んじゃう工員がいくらでもいました。兼業農家ですからね。頭のなかが靴のことでいっぱいだったわたしにしてみれば、なんだ あいつらはという思いでしたが、いま考えれば批判される筋合いはない。かれらには、かれらの優先順位がある。
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配属されたのはコバ磨きのラインでした。これを3年やりました。そろそろ ほかの工程も学びたいと掛け合ったところ即座に却下されました。。工場はそれぞれのラインのスペシャリストを育てなければなりませんからね。そんな美味しいところだけをすくうような工員は いらないわけです
 
見かねた企画営業部の親分がうちに来るかと助け舟を出してくれました。企画営業部はOEM(相手先ブランド生産)の窓口になる部署。サンプルとはいえ すべての工程にちょっかいが出せる(笑)。わたしは二つ返事でその誘いに乗りました。
 
入ってわかりましたが、目の回るような忙しさ。自分の靴をつくる余裕なんてありません。そんな時間があるなら目の前の仕事をやれって感じ。でもこれが面白かった。
 
わたしがこの部署に移ったのは、ちょうど大手との取引が切れたタイミング。高橋さんは生き残りをかけて少量多品種に舵を切りました。このミッションに応えるべく わたしは当時気鋭のデザイナーを次々に開拓していきました。先輩が既存の取引先で売り上げを落とすなか、月一ペースであらたな取引先が決まっていった。万能感にひたりましたね。自分で注文をとって自分でつくっている感覚。
 
天狗になったわたしは取引先の一軒と もめました。靴を知らないくせに偉そうな顔をするなと つねづね苦々しく感じていたわたしは、「じゃあ もうやらないよ」と捨て台詞を吐いてその電話をがちゃんと切りました。さすがに まずいと思って親分に報告しました。「おまえが決めたんなら いいんじゃないか」って親分は いいました。そういわれたら奮起しないわけにはいかない。穴を埋めるべく さらにがんばりました。
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25歳のときに正社員にしてもらいました。22歳で入って、23、24と契約を更新して、子どもが生まれた(笑)。奥さんはもともと宮城興業で働いていました。子どもが生まれたからには契約社員というわけにはいかないって迫って、正社員の座に尻を滑り込ませた。意外と図々しいんです(笑)。
 
そうして二十余年。いまはみなで協力してつくる宮城興業のものづくりをしみじみいいなと思っています。
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ミヤギコウギョウというブランドは、宮城興業を辞める年につくりました。宮城興業ってそれまでカジュアルのイメージが強かったんですけど、ドレスもちゃんとつくれるってことを知ってもらいたくて。老舗の地力をみせつけたかったんです。現在はノルウェーの名店スコマーケー・ダゲスタッドでも扱われているようですね。
 
ヒロシ アライズ ラボラトリー オブ “クツ”の製造はグッドイヤーウェルトと九分仕立ての2ラインがあります。前者は宮城興業、後者は関信義さんの一番弟子、(津久井)玲子ちゃんとタケシューの山本(剛)くんにお願いしています。山本くんは京都で「タケシュー」という靴修理の店をやっている職人です。
 
わたしは靴づくりがしたくて宮城興業の門を叩きました。まるごと一足つくれる技量を身につけてわかったのは、マシンとハンドに優劣をつけるのは間違っているということです。両方を知るわたしの答えは、それぞれの長所を活かしたものづくりでした。
宮城興業の研修生一号
 
一国一城の主になったのは、高橋さんがある日朝礼でいった「これからは独立採算制にする」って言葉がきっかけでした。真意はもう少し収支を考えて仕事をしてくれよってことだったと思うんですけど、それで記憶が呼び覚まされたんです。そうだ、おれは自分の靴がつくりたかったんだって(笑)。
 
わたしはさっそく立候補して、東京で店がやりたいと ぶちあげた。高橋さんは、店はまだ時期尚早だから、うちの営業所としてやってみればどうかといわれました。1年目は固定給だったけど、翌年からは歩合制になりました。いまでは7割方は自分で開拓した仕事になったんじゃないかな。
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奥さんは山形で生まれ育った人ですが、東京に出るといったとき、反対らしい反対はありませんでしたね。夢をアツく語った時代もあったから(笑)、諦めていたのかも知れない。当時小学生だった子どもも今年21歳。社会に出て働きはじめました。
 
高橋さんはわたしを研修生一号っていっています。雇用形態とかそういうことではなく、単純に靴が好きで入ってきた若者のことをいいたかったようです。
 
Photo: Shimpei Suzuki
Text:Kei Takegawa
Edit: Ryuatro Yanaka
 
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荒井弘史(あらい ひろし)
1972年茨城県生まれ。茨城工業高等専門学校から山形大学工学部へ編入。在学中より宮城興業でアルバイトをはじめ、そのまま社員に。工員としてコバ磨きを担当したのち、企画営業部へ配属される。2008年、東京・浅草に荒井弘史靴研究所を設立。2012年、オーダーブランドHiroshi Arai’s Laboratory of “Kutu”をローンチ。2013年、R&Dとともに東京・青山にシューリペアショップFANS.をオープン、2018年、浅草に移転。
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【問い合わせ】

FANS.浅草本店
東京都台東区雷門2-13-4 岡本ビル1F
03-5811-1831
営業: 10:00~18:00
定休:火曜
http://fansasakusa.com
 

Author profile

竹川 圭
竹川 圭
Takegawa Kei

エディター
ライフスタイル誌を経て独立。下町の人情と赤提灯に惹かれ、社会に出てからはイースト・トーキョーを転々とする。近著にノンフィクション『至高の靴職人』(小学館)がある。

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