百靴争鳴。日夜美しい靴作りに情熱を燃やし合う、異色の靴職人たちへのインタビュー集。
上海有数のセレクトショップ、エトスがいち早くオーダーをつけたブランド、それがHiroshi Arai’s Laboratory of “Kutu”(ヒロシ アライズ ラボラトリー オブ “クツ”)です。
デザイナーの荒井弘史さんは名門老舗のシューファクトリー宮城興業でキャリアを積んだベテランであり、靴好きなら知らぬ人はいない社名を冠したドレスシューズ・ブランドMIYAGI KOGYO(ミヤギコウギョウ)の初代プロデューサーとしても知られます。
※取材・撮影は自粛以前、3月後半に行いました。
ブランド名に“Kutu”を入れたワケ
宮藤官九郎脚本のドラマ『いだてん』 に忘れられないシーンがあります。 日本初参加となる1912年のストックホルムオリンピックを描 いていた第10話が それです。 プラカードの国名表記をどうするかという問題がもちあがり、 多くがJAPANを推すなか、主人公の金栗四三は「 日本は日本です。そのまま漢字で日本と書いたらいいでしょう」 と ひとり主張して譲らなかった( 最終的にNIPPONに落ち着いた)。 わたしには金栗さんの気持ちは よぉっくわかる。
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ブランド名はヒロシ アライズ ラボラトリー オブ “クツ”といいます。編集の人には「長すぎるよ」 と文句をいわれることもありますが(笑)、 ブランドの方向性を端的にあらわすネーミングであり、 そこは譲れません。
屋号の荒井弘史靴研究所を英語に置き換えただけですが、 ポイントはダブルクォーテーションで強調したクツにあります。
なぜ、クツとしたのか。答えは日本でつくるブランドだからです。 西洋のモノマネではなく、日本ならではの靴をつくりたい。 だからシューズやフットウェアは はなから眼中にありませんでした 。
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では、どこが日本ならではなのか。それは木型にあります。 足を入れていただければ わかると思うんですが、 この靴は甲を逆Vの字に押さえる構造を採っています。 ベースとなっているのは、草履や下駄の鼻緒です。
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靴はどこをどう押さえたら気持ちよく履けるんだろう。 それはわたしがこの業界で仕事をするようになってからずっと向き 合ってきた研究課題でした。でね、 試しに削ったその木型がビンゴだった。 一度でもうちの靴を履いてくれた人には「 これまでの靴とは まるで違う」と褒めてもらえます。 日本人の足をずっと支えてきた草履や下駄の理論ですからね。 理にかなっているんです。
ブランド名を長ったらしくする もうひとつの元凶(笑)、 ラボラトリーをつけた理由は ここにあります。 自分でいうのもおこがましいんですが、 わたしは探究心をもって靴づくりにのぞんでいます。
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木型はむかしから削っています。これまで、いえ、いまもですが、 木型づくりってその道何十年の職人のみに許された仕事といわれて きました。デザイナーが木型をいじったというのは、 せいぜいがつま先だけです。 つま先は履き心地を左右しませんからね。木型の後ろ半分は、 いわば神の領域でした。でもね、わたしは思うんです。 そのプロは果たして自分で削った木型でつくった靴をどれだけ履い てきたんだろうって。 わたしは少なくとも削って履いてを20代のころから繰り返してき ました。
まるで性器のような靴も
デコボコしているのは、ハンマーで叩いたあとです。 釣り込んだだけでは逆Vの字のラインがきれいに出ない。 そのための叩きなんですが、力が入りすぎたのか、 あるときボコッとくぼみができた。 あぁ失敗したと嘆いたのも束の間、みるともなしにみていたら、 そのくぼみがなんとも味わい深い。これはと思ってひとつ、 ふたつと増やしていってできた表現です。
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ヒロシ アライズ ラボラトリー オブ “クツ”のもうひとつのこだわりが、有機物としての存在感。 ひと昔前の日本の靴はクレームを恐れて顔料を吹きまくっていまし た。均質な工業製品のような靴を目指していたんです。 わたしにいわせれば まったくもってひどい話です。 デコボコの革は、有機物としての魅力を引き出していると思う。
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この仕事は一度死んだ革に命を吹き込む作業。 靴って革が化けるって書きますよね。わたしは靴をつくるとき、 モンスターを生んだフランケンシュタイン博士になりきっています (笑)。
道産子カーフと命名した北海道産の原皮を鞣した革のシュリンクっ ぷりも気に入っています。 こっちのアルミニウムを底まわりに かました一足も自信作。 あえて無機質の素材とコンビにすることで革の生々しさが浮かび上 がるって寸法です。
媒体を選ぶネタになっちゃいますが、性器を思わせる靴もあります。はじめっから意図していたわけじゃありません。革らしさや履き心地を求めて あーでもない、こーでもないと こねくり回しているうちに はからずも似てしまったんです。面白いでしょ?(荒井さんは知らなかったそうだが、心理学者のフロイトは靴を女性器のメタファーといっている)。
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日本生まれのこの靴を世界に認めさせたいと思って 2018年から パリで個展を開いています。 ファッションウィークの時期に合わせてね。 通訳をお願いしているかたに「 フランス人なら性器の話は喜ぶから絶対話したほうがいいよ」 って耳打ちされたんで、いわれたとおりにしました。 注文には いたらなかったけれど、たいそう喜ばれました(笑)。
海外との取引は一回出展したくらいで注文がもらえるものじゃあり ません。何年もかけて信頼関係を築いてようやく取引ができる。 そういう意味では まだまだこれからですが、 上海のエトスにはすでに並んでいます。 中国ではたいへんに有名なセレクトショップです。リック・ オウエンスやアクロニウム、あたらしいところでソング フォー ザ ミュート、日本勢ではヴィズヴィムを置いています。
コンセプトですか。だからいま話したことがすべてです。え、 デザイン・コンセプトですか……。 好きなものをつくっているとしかいえないなぁ。 ワークが根底にあるのかって? あるのかも知れないけれど、 オーセンティックなドレスシューズもありますしね。
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そうそう、大切なことを忘れていました。ヒロシ アライズ ラボラトリー オブ “クツ”はオーダーメイドのブランドです。履き手には明確な完成予想図があるわけじゃない。だから、いろいろとサンプルをつくっているというわけです。
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オーダーを選んだのは、 ものづくりに無駄を生じさせたくなかったから。
R&D(エム・モゥブレィなどを扱うシューケア用品の商社)と組んでお店をやっているのも そうした理由からです。ファンズと名づけたこの店ではリペア、クリーニング、シューシャイン、フィッティング調整──ありとあらゆるメインテナンスに対応します。ものがあふれる現代を考えれば、つくるのはやめて こっちだけやってもいいくらい。
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とことん惚れ込んだ靴をケアやリペアをしながら履き続ける。そんな風に靴が循環する道筋をつくりたいと思っています。
雑用屋というもうひとつの仕事
仕事はオリジナルブランドとテーブルメーカーの二足のわらじ。 テーブルメーカーとは、 デザイナーやショップとファクトリーのあいだに立って ものづくり の設計図を描く仕事です。靴がつくりたい人の意向をうかがい、 デザイン画を描き、型紙や木型をつくり、 サンプルの材料を手配し、 サンプルをもとに修正を入れて発注数を決める。 もちろん生産が始まってからも なにかあれば臨機応変に対応します 。
わたしは自分のことを、いたって前向きに雑用屋と呼んでいます。 昭和の時代にはフリ屋といわれることもありました。 右から左に動かす(=振る)だけ、 つまりなんにもしないでマージンをとるからフリ屋ってわけですが (笑)、 この仕事は真摯に取り組めばやるべきことは無尽蔵にあり、 靴にまつわる あらゆることのスペシャリストにならなければならな い。宮城興業で学んだ、わたしの財産です。
おかげさまで 現在はふたりの社員がいます。 オリジナルを手伝ってくれるアウトワーカーも何人か。 人が増えれば どうしたって帳簿仕事が増えてくる。これが辛い( 笑)。 一日パソコンとにらめっこしていると どうしようもなく疲れます。 そんなときは夜ひとりになってから靴を磨いたり木型を削ったりし ます。手元の作業に集中していると、 疲れが心地よいものに変わっていく。あぁ、 今日も仕事をしたなぁ、という達成感が得られる。 風呂上がりのビールもがぜんうまく感じられるんです。
後編へ つづく。
Photo: Shimpei Suzuki
Text:Kei Takegawa
Edit:Ryutaro Yanaka
Text:Kei Takegawa
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荒井弘史(あらい ひろし)
1972年茨城県生まれ。茨城工業高等専門学校から山形大学工学部へ編入。在学中より宮城興業でアルバイトをはじめ、そのまま社員に。工員としてコバ磨きを担当したのち、企画営業部へ配属される。2008年、東京・浅草に荒井弘史靴研究所を設立。2012年、オーダーブランドHiroshi Arai’s Laboratory of “Kutu”をローンチ。2013年、R&Dとともに東京・青山にシューリペアショップFANS.をオープン、2018年、浅草に移転。
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