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BUSINESS 東京独身レポート

Vol.9 facebookで1万シェア、映像作家で詩人。
「夢も希望もなかった10代の頃」

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「バカでいい」中村獅童さんの言葉が僕を突き動かした

「思春期は、夢も希望も持てなかった。生きていた理由は、死ぬ理由がなかったから、ただそれだけだった」。

詩人、映像作家、国立研究員...様々な顔を持つ彼の名は、黒川隆介さん。16歳から詩を書き始め、その詩が「京都府教育委員長賞」を受賞、昨年には著書「タイムカプセル: おとなが嫌いな人たちへ」を発表。

また、映像作家としても脚光を浴びる。彼が手がけ、世界中で話題になった企画「憲法9条について」は茂木健一郎氏など著名人も彼の想いに賛同し映像に登場するなど、その影響力は計り知れない。

また、27歳にして国立の研究所で非常勤研究員も務める。国の研究員として広告やデータのアーカイブを作成し、未来の日本を創造すべく研究を重ねている。

なぜ、夢も希望も持てなかった青年が、これほど活躍するまでに自分を立て直すことができたのか。そんな黒川隆介さんの転機は、16歳の時に訪れた。それは、「友人の自殺」だった。そこから、「死んでもいい」と思っていた青年は、「友人の死を無駄にしたくない」と考え始めるようになる。

その軌跡を、特殊な恋愛観を、本誌ではお伝えする。

西内:それにしてもこの研究所、すごい場所ですね。同い年、27歳の方が国の研究所で働いているなんて...。黒川さんは色々なお仕事をされていますが、他にはどんなお仕事をされているんですか?

黒川:映像を作ったり、千葉で学校の運営をしたり、また16歳の時から詩人として詩を書いたりしています。

西内:16歳の時に、なぜ詩を書こうと思ったんですか?

黒川:僕は16歳までサッカーと空手をやっていて、その道で生きていこうと思っていたんです。でもある時、生まれつきの病気が悪化し手術を迫られ、一時的に運動ができない体になってしまいました。その時、「どう生きていけば良いか」が分からなくなったんです。そのやり場のない気持ちを発散した場所が、「詩」だったんですよね。詩を書き始めた当時は友人宅に居候し、コンビニ店員や工事現場の仕事など、色々な仕事も経験しました。そんな中で少しずつ詩と映像で評価されはじめ、食べていけるようになってきたんです。

西内:コンビニ店員、まったくイメージと違いますね。

黒川:でも、2日でクビになりました...。マニュアル通りに動くのが凄く下手で(笑)。

西内:どんだけアーティスティックなんですか! それにしても、詩のどこにそんな魅力があるんですか?

黒川:ある時、詩を書いて落ちるように眠りについたんです。そして次の日に起きて自分の詩を見た時、「こんなに感動するものが、自分自身で作れるなんて!」と心から感激したんです。自分で自分の作品に素直に感動できる、それが詩を書き続けるきっかけになったのかもしれません。また、16歳の頃に家出、唯一の生き甲斐だったスポーツは怪我で挫折。また、その時の数少ない友人2人の死などが重なり、絶望の中で生きていて。とにかく「書かざるを得ない」という精神状態でした。そんな辛い日の自分を救ってくれたのが詩だったので、魅力を感じ続けているんですよね。

西内:辛い思春期があったからこそ、人の心を打つ作品ができるし、また若い方の共感を得ることができるんですね。

黒川:若い人にはとにかく希望を持ってほしい。今、ラジオ番組も持っているんですが、そこでは10代の子の悩み相談みたいなこともしているんです。僕は10代の頃実に暗くて、あまり笑わない青春時代を過ごしたので、今の10代には「未来は自分の手で切り開ける」ということを伝えたいです。

西内:なぜ、10代の頃、そんなにも暗かったんでしょう?

黒川:とにかく大人というものが信用できなかったのが大きいかもしれません。僕が目標を持っても「どうせできる訳ない」「そんなもので食べていける人なんて一握りだからやめておけ」などと、否定的なことを言われることばかりでしたね。でも、いざ歳を重ねてみると、なんとかだけれども、食べていけている。こんなに素敵な世界が待っていたのに、10代の頃は後ろ向きなことが多く、希望が持てなかった。だから、今の若い人たちには、自分次第でどんな環境も変えていくことができるということを伝えたいですね。

西内:そんな風に、暗く、辛く、夢も希望もない思春期...。黒川さんは、なぜ生きていられたんですか?

黒川:ただ、死ぬ理由がなかったんでしょうね。それだけでした。

西内:なるほど...。そんな黒川さんが立ち直ったキッカケは何だったんでしょう?

黒川:16歳の時に、近しい友人が自殺したんです。また、19歳の頃には親友が事故死してしまいました。そんな身近な2人の死を受けて、「彼らの死を無駄にしたくはない」という感情が芽生えてきたんですよね。それが、僕が「立ち直らなければ」と思った一番のキッカケでした。

西内:そうだったんですね。そんな想いで作られた「詩」だからこそ、それが後に世間でも評価され「京都府教育委員長賞」を受賞されたり、また書籍化されたりと、どんどん形になっていったんですね。

黒川:でも10代の頃は、詩も映像も「センスがない」と言われていました。それでも、僕は不思議とやめなかった。きっと賢い人なら「食べていけない」と辞めていったと思うんです。僕の周囲もどんどん辞めていき、気づけば僕だけが残っているような状況でした。これって「バカだから」続けられたと思うんですよね。

西内:「バカ」な方が成功するということでしょうか?

黒川:それについては大学生の時、中村獅童さんから感動的な言葉をいただいたんです。それはちょうど5年前、震災の時に「何か自分にもできないか」と思い、復興イベントを企画しました。そこで、無謀にも中村獅童さんに出演依頼の手紙を送ったんです。そしたらマネージャーさんから連絡がきて...

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