マセラティのヒストリーはサーキットにおける活躍から始まった。
マセラティの創始者であるアルフィエーリ、エットーレとエルネストの3人の兄弟の手による革新的なパフォーマンスモデルは、レース界においては当時から世界の注目を集めていた。
そんなマセラティは、「グラントゥーリズモ」と「グランカブリオ」という圧倒的存在感のあるアイコン抜きでは語れない。
始まりの「グラントゥーリズモ」
1930年後半に、マセラティはイタリア北部の都市、モデナの実業家のアドルフォ・オルシのサポートを受けることとなる。
彼には「モデナをトリノやミラノに負けないモーターシティにしたい」という、熱い想いがあった。そこから生まれたのが「グラントゥーリズモ」だ。
モデナはエンツォ・フェラーリの生地でもあり、1943年にフェラーリがモデナ近郊のマラネッロへ移転するまで、当時のモデナには世界を代表するレースチームが2つ同居していた。
「グラントゥーリズモ」とは、高性能でありながらも長距離ドライブを楽しむことのできる快適性を兼ね備えたモデルである。マセラティのサーキットで培ったテクノロジーと、その名声をバックボーンとして誕生した「グラントゥーリズモ」はマセラティの自動車事業における中核を担うこととなる。
その歴史が明確に刻まれたのは1947年。
マセラティ初の量産型グラントゥーリズモ「A6 1500」が登場したところから始まる。
「A6 1500 グラントゥーリズモ」の呼び名で広く知られることになる。
ここで新たに開発された6気筒エンジンをベースとして、レースマシンA6GCSが誕生し、発展形としてF1を制覇した250Fの芸術的ともいえるハイパフォーマンスエンジンへと進化した。画期的なメカニズムと優美なピニンファリーナ製ボディを兼備したこのモデルが自動車産業の発展に寄与したことは言うまでもない。
現在のグラントゥーリズモの原型となっており、1957年の初の量産車である大型グラントゥーリズモ「3500GT」、ハイパフォーマンスと希少性を求めるヨーロッパのセレブリティのニーズに合わせたV8エンジン搭載の「5000GT」を始めとし、様々なアップデートが行われており、今でも多くのクルマ愛好者から愛されている。
1950年代はF1やスポーツカーレースの世界選手権で数多くの栄冠を手にするが、1957年を最後にワークス活動を停止。高級スポーツカーメーカーへの転身を図るようになる。その結果、希少性とラグジュアリーなブランドイメージがこの頃に確立していく。
「グラントゥーリズモ」の情熱を受け継ぐ「グランカブリオ」
マセラティの情熱が詰まった「グラントゥーリズモ」をベースとした、4シーターオープントップバージョンが「グランカブリオ」。
非の打ち所のない効率性と、時を経てもそのアイデンティティに忠実であり続ける自然な美しさとの出会いから誕生した。
「グラントゥーリズモ」と並行して開発された新型で、エレガントなスタイリングと卓越した性能を誇る。
トリムレベルにはトロフェオが設定され、最高出力550psの3.0LガソリンV6ツインターボのネットゥーノエンジンを搭載。
車両はイタリア製のグランドツアラーであり、豪華さと優れたコンフォート性を提供している。外観は5色のカラーバリエーションから選択可能な電動格納式ソフトトップが特徴で、開閉にかかる時間はわずか14秒。
さらに、オープンエアドライブ愛好家のためのネックウォーマーやウインドストッパーなどの機能が標準装備され、ドライビングエクスペリエンスを向上させた。
最新のテクノロジーと美的アプローチが組み合わされ、安全性とエンターテインメント性を実現し、60年以上にわたるマセラティの伝統を受け継いでいる。
「グラントゥーリズモ」と「グランカブリオ」。エネルギッシュな走りと究極の快適性の両立と、時代を切り開く先進性は、まさにThe Others Just Travel(人生を彩る快適な旅)をもたらしてくれる。
共にイタリアデザインの叡智を集め、細部にまで宿すこだわりっぷりを体現している。マセラティを支える両翼として、今後もその進化に目が離せない。