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【家族の大問題】「親権争いで、人生ズタボロにされました…」両親の綱引きで壊れた、元子供たちの「血を吐くような激白」

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不倫や浮気、DVにプチ風俗……。妻として、母として、ひとりの女性として社会生活を営み、穏やかに微笑んでいる彼女たちが密かに抱えている秘密とは? 夫やパートナーはもちろん、ごく近しい知人のみしか知らない、女たちの「裏の顔」をリサーチ。ほら、いまあなたの隣にいる女性も、もしかしたら……。

台湾の元卓球選手江宏傑氏が行った緊急会見が波紋を呼んでいる。

卓球の元五輪メダリストである長男を連れ去ったことに対し、裁判所から引き渡しが命じられているというのである。台湾と日本の国際結婚で話題を集めた2人が結婚したのは、2016年。2人の子どもをもうけたが2021年に離婚をしている。離婚の原因は定かではないが、モラハラや不倫などが取り立たされていた。

人口統計によると日本では、離婚後の親権の多くは妻が行っているという。しかし、2人は台湾で共同親権を取得している。日本にはない制度だ。

どちらにしても子どもが幼いうちは、自身で親権を選ぶことはできないため、親の決定に従う他ない。今回の一件も父親と母親が子どもをめぐって争っていることはわかるものの、当事者でもある子どもが一体どんなふうに感じているのかを知ることはできない。親の離婚をめぐって子どもたちはどんなことを考えているのだろう。

今回は親の離婚を経験した女性に話を聞くことができた。

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高橋恵里奈さん(仮名・38歳)は、中学2年生のときに親の離婚を経験している。

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「原因はよくあるものです。父の不倫ですね。物心ついたころには、父と母の関係は冷めきっていたと思います。父が家族の輪の中にいた記憶があるのは、誕生日とか卒入学といったお祝い事のときだけ。それ以外は早朝に出て、深夜に帰ってくる生活でした。私が小学校にあがってからは帰宅しないことも増えましたね」。

©gettyimage

父は不動産関係の会社を経営していた。

「お金はありましたよね。地方都市ですけれど、大きな一軒家に住んでいました。自分の部屋もあるし、習い事はなんでもやらせてもらえました。欲しいものも常識の範囲内ですけど、基本的に買ってもらえて、何不自由ない暮らしをしてきました」。

母は専業主婦として生活をしていたが、父との離婚を前に社会復帰をしたという。

「もともと会計士の資格があったので、就職はさほど、大変そうではありませんでした。私たち子どもが大きくなったこともあって、フルタイムで働き出したのが私が高校生になった頃かな。今思うと私たちと暮らすために働き始めたのかもしれません」。

恵里奈さんは自分は離婚組のなかでも恵まれた方だと話す。

「2人とも暴力を振るうとかそういうこともありませんでしたし、愛情は十分に与えてくれたと思います。だから、虐待されているとか、精神的な苦痛を与えられている人に比べたら、私なんて…そんな気持ちから、親の離婚について話をすることは避けてきた節がありますね」。

確かに虐待というパワーワードに比べると影響が少ない、そう感じる人もいるかもしれない。しかし、多かれ少なかれ、離婚は子どもに影響を与えると危機管理コンサルタントの平塚俊樹氏は話す。

「離婚が子どもに与える影響について法務省が調査した結果を見ると、子どもたちに何らかの想いを抱かせることは事実のようです。例えば父母の別居時について覚えていると答えた人にその時の気持ちを聞くと悲しかった、ショックだったと続きます。次点は状況が変わることが嬉しかった、ホッとしたでした。ネガティブであれ、ポジティブであれ、何かは感じていることになります」。

恵里奈さんも感じることは多かったと話す。

「はじめのうちは、ほかに比べる家庭もなかったのでこれが普通だと思っていたんです。でもだんだん知識や知恵がついてくるわけですよね。それであれ?って思い始めたんです。中学生になる頃には、父にはほかに女性がいることもわかっていました。母の浮き沈みが、父の外泊と連動していることにも徐々に気が付きましたね。母を気の毒に思う気持ちが当時は強かったように思います」。

ただ、母は半ば諦めているようにも見えたという。

「激しく父を責めるみたいな感じではもうなかったと思いますね。外泊に対してイライラはしていたもののどこか諦めているように私には見えました。結婚って何だろう、この頃の私は漠然とそう感じていました。それから、付き合うって何だろうって」。

恵里奈さんはモテる方だったと話す。

「中学生に上がると先輩に告白されて、付き合うことになりました。すぐ別れちゃったんですが、その後も告白され続けて、気がつけばずっと彼氏がいるという環境でしたね。好きというよりは、興味でお付き合いをしていたという感じです。いつも彼氏がいるからか、ヤリマンっていうあだ名つけられて女子の先輩には目をつけられていましたけど」。

笑いながら話す恵里奈さんだが、その後も恋愛にはのめり込めなかったそうだ。

「周りの友達は好きな男子の話で大盛り上がりをしていました。思春期の頃ってきっとそれが普通なんでしょうね。でも私は心の中ではすごく冷めていました。初体験のときも、その後のセックスも何だか味気がないというか、全然のめり込めなかったんです。誰かを好きという気持ちもかなり薄くて、何となく付き合って、何となくエッチして、なんとなく別れる…そういう繋がりしかもつことができませんでした」。

大学卒業と同時に上京し、家を出た恵里奈さん。

「当時付き合っていた彼とも遠距離になり、そのまま別れを選びました。仕事はすごく楽しくて、どんどんのめり込むうちに付き合うのは億劫になっていきましたね。今はセフレが1人いるだけ。その人はもう付き合いが長くて、実は初めての彼氏、あの先輩です。なんとなく、たまに会って、エッチしたり、しなかったり。名前のつかない間柄が私としてはちょうどいいんです。向こうからは何度となく、付き合って欲しいと言われていますが、のらりくらりかわしている状況ですね」。

なぜ付き合いたいという気持ちが生まれないのだろう?

「それは私自身が聞きたいです(笑)。でも正直な話、セフレの彼から結婚を前提に付き合いたいと言われて、冷めたというところはあるかも。結婚はなんとなく敬遠してしまうというか…」。

それは両親のようになりたくないということだろうか?

「うーん。そういうふうには思いません。でも結婚は他人が家族になることですよね?私、他人が一番怖いんですよ」。

恵里奈さんが親の離婚の際して一番怖かった他人とは?後編ではその恐ろしい事実にフィーチャーしていく。



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